...能楽において、勧進帳の後半、義経軍との一戦に敗れ落命する福原伯耆守の様を演じる...
...請ふ吾人をして福原の遷都を語らしめよ...
芥川龍之介 「木曾義仲論(東京府立第三中学校学友会誌)」
...旧都の規模に従つて福原の新都を経営するの...
芥川龍之介 「木曾義仲論(東京府立第三中学校学友会誌)」
...(秋山は山田と福原の氏のみ也...
京山人百樹刪定 「北越雪譜」
...福原の舊都まで攻上(せめのぼ)りしが...
高山樗牛 「瀧口入道」
...秀次は木食上人(もくじきしょうにん)に会うて涙に咽(むせ)び、われかゝる事のあるべきとは思いも寄らず、世にありし時心を附くる事もなくて、今更あさましゅうこそ候え、みずからが露の命、早や極(きわ)まり候えば、只今にも伏見より検使あらば自害すべし、亡からん跡は誰をか頼み申すべきと云いもあえず、ふたゝび涙を流したので、上人承り、御諚(ごじょう)にて候えども、此の山へお登りなされ候上はいかで御命に障り候べき、たとい太閤御憤り深くましますとも、当山の衆徒一同にて申し上げ、御一身を乞い受け奉るべしと云ったが、検使は福島左衛門大夫、福原右馬助、池田伊豫守を大将としてその勢五千餘騎、文禄四年七月十三日の申(さる)の刻に伏見を立ち、十四日の暮方(くれがた)に高野山へ着いて、上人を始め一山の老僧共の命乞いに耳を貸さず、青巌寺をひた/\と囲んだ...
谷崎潤一郎 「聞書抄」
...都を福原に遷したころを考ふれば...
長岡半太郎 「大阪といふところ」
...第一四圖 眞玉橋併し此の夜は島袋君や福原君の案内で...
濱田耕作 「沖繩の旅」
...今日はじめて島袋福原兩君から此の史劇の荒筋を聞かされた私にさへ...
濱田耕作 「沖繩の旅」
...福原郊外の様子を見せている...
藤野古白 藤井英男訳 「人柱築島由来」
...むざむざ網を張って待っている福原に行くことになろうとは……...
藤野古白 藤井英男訳 「人柱築島由来」
...ここは福原屋敷の一室...
藤野古白 藤井英男訳 「人柱築島由来」
...実は、福原あって以来、いや今足で立っております床の下にある地面というものが存するようになりまして以来、空に日の照らぬ日はありましても、かかる珍事があった例はございませんでしょう...
藤野古白 藤井英男訳 「人柱築島由来」
...古典・平家物語では福原落去から壇ノ浦の終わりあたりにならなければ...
吉川英治 「随筆 新平家」
...福原開港の業成って...
吉川英治 「随筆 新平家」
...福原の荘へ赴(おもむ)いて...
吉川英治 「源頼朝」
...摂津(せっつ)の福原の別荘は...
吉川英治 「源頼朝」
...(福原へ遷都などとは以てのほかである...
吉川英治 「源頼朝」
...「さすがに、派手やか」「うわさに聞く、福原の船遊びと、間違えているのではないか」「一矢、挨拶いたそうか」「待て待て...
吉川英治 「源頼朝」
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