...其の神を祭る一切の事を掌る...
伊波普猷 「ユタの歴史的研究」
...「岩城と津軽の岩城山とは南北百余里を隔て之を祭るはいぶかし...
太宰治 「津軽」
...今日祭る政友の中にも...
田中貢太郎 「雨夜続志」
...再び祭るつもりではいたのです...
豊島与志雄 「霊感」
...これを祭るにも掛眞即ち肖像畫を掛くる風ありしより...
内藤湖南 「日本の肖像畫と鎌倉時代」
...獅子頭を祭ると云ふ』と載せたことである(以上...
中山太郎 「獅子舞雑考」
...そこに義經を祭る義経堂がある...
平野萬里 「晶子鑑賞」
...並に香華燈燭を以て翁を祭る...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...」関帝を祭ることは...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...○羽後苅和野の町にて市の神の神体なる陰陽の神に正月十五日白粉を塗りて祭ることあり...
柳田国男 「遠野物語」
...三途河の婆様の木像を方々のお寺に祭るようになったことが...
柳田國男 「日本の伝説」
...農作の神を祭る風はあるか...
柳田国男 「年中行事覚書」
...五五天王降(てんのうお)ろし天王様を祭る日はいつからいつ迄か...
柳田国男 「年中行事覚書」
...正月に烏を祭る風は九州にはもう絶えてしまったらしく...
柳田國男 「野草雑記・野鳥雑記」
...特に後年神を祭るべき磯崎ばかりに...
柳田国男 「雪国の春」
...関羽を祭る壇が築かれ...
吉川英治 「三国志」
...三人を生きながら沈めて祭る風習があったと聞き...
吉川英治 「三国志」
...「神を祭るのに、きわめて清浄を貴ぶ風習から、身親(みぢか)なもののうちに、死人があると、その一年は鳥居はくぐらないとか、喪のうちは神棚を閉じて、祭器にも手をふれないとか――そんなところから、神仏は仲のわるい別ものみたいに考えられて来たのではありませぬかな」和尚の言にうなずいて、介三郎はにこやかに、「そうでしょう、庶民のうちにはいると、神も仏も、本来のものは稀薄になって、形のうえのことが、重大に支配して来ますから」「拙僧はこう解しています...
吉川英治 「梅里先生行状記」
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