...この口よせのいうことは、一向とりとまりはないが、その文句のうちに、「口惜(くや)しい悲しいで気がとりつめ」とか、「この魂が跡を追いかけて引き戻してくる」とか、「東は神宮寺、西は阿礼(あれ)の社(やしろ)より向うへは通さぬ」とか、髪をふり乱し、五体をわななかせ、油汗を流して、呪わしい言葉を口走っている...
中里介山 「大菩薩峠」
...延寿王院(神宮寺といふ)に入りて菅公真蹟を拝観す...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...秋田から横手に繋(つな)がる線路の中頃に神宮寺(じんぐうじ)という小駅がある...
柳宗悦 「現在の日本民窯」
...或る年仙北郡神宮寺山の麓の村で...
柳田国男 「山の人生」
...神宮寺――などを除くほか続々この夜の“御本屋会議”に参集してきた...
吉川英治 「私本太平記」
...神宮寺正師(じんぐうじまさもろ)...
吉川英治 「私本太平記」
...一族の神宮寺正師(じんぐうじまさもろ)...
吉川英治 「私本太平記」
...さきの隅田、高橋の大敗も見たろうに」「いや、あまりひどい負け方を喫したので、敵は、負け腹立って来たのだろう」しかし、衆言をよそに、正成の床几(しょうぎ)の辺では、和田、神宮寺、橋本、安間などの諸将から正季も前において、いつもに変らない正成の低目な声が、なにか諄々(じゅんじゅん)といっていた...
吉川英治 「私本太平記」
...西足場の神宮寺正師(じんぐうじまさもろ)...
吉川英治 「私本太平記」
...「そのことは今も、これへ集まった和田、松尾、南江、神宮寺、佐備(さび)、橋本らの部将が、口をそろえてわしにすすめていたところだ...
吉川英治 「私本太平記」
...正高(まさたか)兄弟神宮寺ノ正師(まさもろ)佐備正安(さびまさやす)安房(あわ)四郎左衛門安間了現(やすまりょうげん)――なども駒をひろって先駆し出した...
吉川英治 「私本太平記」
...安間、神宮寺などは、武者扱いにそつのない老臣、よく相談してやりまする...
吉川英治 「私本太平記」
...神宮寺などの一族中のおもな者七...
吉川英治 「私本太平記」
...神宮寺太郎正師(まさもろ)は...
吉川英治 「私本太平記」
...神宮寺正師(まさもろ)などの――いくさの駈引きにも騎馬戦にも屈指(くっし)な者をすえていた...
吉川英治 「私本太平記」
...神宮寺の新判官正房」「はっ」正房は...
吉川英治 「私本太平記」
...ところが鳳輦(ほうれん)が八幡に着くと同時に、およそ七、八千騎の軍勢がどこからともなく来て、夜のうちに洛外をうずめ、それらが一せいに旗手(はたで)を解いて朝空にひるがえしたのを見れば、北畠顕能(あきよし)、千種顕経(あきつね)、楠木正儀(まさのり)、和田、越智(おち)、神宮寺など、いずれも南軍の精鋭であらぬはない...
吉川英治 「私本太平記」
...もとこの像は三輪山(みわやま)の神宮寺(じんぐうじ)の本尊であって...
和辻哲郎 「古寺巡礼」
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