...この東洋の碩学(せきがく)に頼みこんだ...
海野十三 「独本土上陸作戦」
...碩學すらなやめるは...
大槻文彦 「ことばのうみのおくがき」
...呉昌碩5・17東京日日(夕)近ごろ支那趣味の流行につれて...
薄田泣菫 「茶話」
...呉昌碩(ごしやうせき)や王一亭の粗画も一寸した家の客間には見られるやうになつた...
薄田泣菫 「茶話」
...法相宗の碩学(せきがく)蔵俊僧都(ぞうしゅんそうず)の処に至って普通の修業者の通りに御対面を申出で...
中里介山 「法然行伝」
...安政四年出版した碩学菅茶山(かんちゃざん)の随筆「筆のすさび」に左の小さい物語が採録されて居ります...
野村胡堂 「天保の飛行術」
...「譜代の鴻儒当時の碩才なり」と称え...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...宗碩に至りては、しばしば美濃に往来した者であるので、実隆は同国苧関用脚の件につき、宗碩を煩わしたこともある...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...宗碩(そうせき)の『藻塩草(もしおぐさ)』「さね木の花」(サネカズラの事)の条下に「さねきさなき同事也」と書いてある...
牧野富太郎 「植物一日一題」
...※は元とは柔かな意味の柔で柔と続づき柔かなツバナであってこの熟字は元とは詩経に在る衛風中の碩人の章の「手如柔」から出たものである...
牧野富太郎 「植物記」
...井上の養父は碩平といって...
柳田国男 「故郷七十年」
...入込(いりごみ)に諏訪(すわ)の涌湯(いでゆ)の夕ま暮曲水(きょくすい)中にもせいの高き山伏 翁いふ事をたゞ一方へ落しけり珍碩(ちんせき)是などは次が至って花やかな恋の句に続くために...
柳田国男 「木綿以前の事」
...彼は明の王族で南昌城の太守の子だつたと呉昌碩か誰かの著書で見たことがある...
吉川英治 「折々の記」
...客の王子服や呉碩たちも...
吉川英治 「三国志」
...当代の碩学(せきがく)だ...
吉川英治 「新書太閤記」
...碩学(せきがく)も...
吉川英治 「親鸞」
...南都の碩学(せきがく)にもつき...
吉川英治 「親鸞」
...僧籍で大僧都の肩書まである半俗半僧の碩学(せきがく)だし...
吉川英治 「随筆 宮本武蔵」
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