...風光明媚なドルドオニ河域、其昔聖者フエネロンを出し、近く碩学エリイ、エリゼ、オネシム、ポオル等のルクリユ四兄弟を出し、社会学者のタルドを出した此渓流は、到処(いたるところ)に古いシヤトオと古蹟とあり、気候も温暖にして頗る住居に好い処であつた...
石川三四郎 「馬鈴薯からトマト迄」
...石河幹明記(しるす)瘠我慢の説に対する評論について碩果生(せきかせい)去る十三日の国民新聞(こくみんしんぶん)に「瘠我慢の説を読む」と題(だい)する一篇の評論(ひょうろん)を掲(かか)げたり...
石河幹明 「瘠我慢の説」
...无学(むがく)なれどもその行(おこなひ)は碩僧(せきそう)にもをさ/\劣(おとら)ず...
京山人百樹刪定 「北越雪譜」
...世を欺ける碩学」という汚名がついて廻っているのだ...
橘外男 「令嬢エミーラの日記」
...かくのごとき碩学(せきがく)の逝去による英国学界への打撃は甚大なりと伝えらる...
橘外男 「令嬢エミーラの日記」
...故ニ世人称シテ南山ノ碩学七生ヲ悟ルノ人ト云フ矣...
谷崎潤一郎 「覚海上人天狗になる事」
...一代の碩学アルベルトゥス・マグヌス(大アルベルトゥス)や理想家のカンパネラやの名を忘れてはならぬ*...
戸坂潤 「科学論」
...中井碩翁が邸址から移し来ったという石の井筒も打棄てられたまま...
永井荷風 「百花園」
...第十八章 知らぬ恩人に対する感謝英国碩学(せきがく)の観(み)たる神道(しんとう)の要旨先年交換教授(こうかんきょうじゅ)として渡米するにつき...
新渡戸稲造 「自警録」
...ロシヤのマルクス主義の碩学プレハノフは...
平林初之輔 「文学方法論」
...熊楠はともあれ他の諸碩学の学問上の希望を容れられざりしは遺憾なり...
南方熊楠 「神社合祀に関する意見」
...春安亮碩松軒亀田表御本営へ明日繰込相成候旨申来...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...玄碩の遺した女(むすめ)鉄は重い痘瘡(とうそう)を患(うれ)えて...
森鴎外 「渋江抽斎」
...月花に庄屋をよつて高ぶらせ 珍碩煮(に)しめの塩のからき早蕨(さわらび)怒誰(どすい)来る春につけても都(みやこ)忘られず 里東半気ちがひの坊主泣き出す 珍碩呑(の)みに行く居酒(いざけ)の荒の一(ひと)さわぎ乙州(おとくに)この珍碩というのは前の洒堂(しゃどう)とたしか同じ人で...
柳田国男 「木綿以前の事」
...当代の碩学(せきがく)だ...
吉川英治 「新書太閤記」
...五岳の碩学(せきがく)...
吉川英治 「新書太閤記」
...南都の碩学(せきがく)にもつき...
吉川英治 「親鸞」
...そこらにざらにあるいわゆる碩学(せきがく)とは断じてちがう...
吉川英治 「親鸞」
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