...碧梧桐君も同じような事をしていた...
高浜虚子 「子規居士と余」
...碧梧桐君らと会合して作った句稿などを送ると居士はそれに詳細な評論を加えてかえして来たり...
高浜虚子 「子規居士と余」
...この猿楽町には子規居士も来るし飄亭(ひょうてい)、碧梧桐、露月(ろげつ)、四方太(しほうだ)などの諸君も熾(さか)んに出入するし、その『ホトトギス』が漸く俳句界の一勢力になって来たので、私の仕事も相当に多忙になって来た...
高浜虚子 「漱石氏と私」
...その後に冬木立の逆様(さかさま)に映った水面の絵を出したらそれは入選したが「あれはあまり凝(こ)り過ぎてると碧梧桐(へきごどう)が云ったよ」という注意を受けた...
寺田寅彦 「明治三十二年頃」
...不折や虚子や碧梧桐を相手に色々批評したり...
寺田寅彦 「明治三十二年頃」
...近年は碧梧桐氏がいわゆる新傾向の俳句を始めてなかなか多くの共鳴者を得ているが...
内藤鳴雪 「鳴雪自叙伝」
...なお碧梧桐氏が全国を巡遊するに至って...
内藤鳴雪 「鳴雪自叙伝」
...乳あらはに女房の単衣(ひとへ)襟浅きの碧梧桐と...
野村胡堂 「胡堂百話」
...碧梧桐(あをぎり)の蔭から出しました...
野村胡堂 「錢形平次捕物控」
...ほととぎすみ山にこもる声きゝて木曾のかけはしうちわたるらん 伽羅生卯の花を雪と見てこよ木曾の旅 古白山路をり/\悲しかるへき五月哉 同又碧梧桐子の文に日と雨を菅笠の一重に担ひ山と川を竹杖の一端にひつさげ木賃を宿とし馬子を友とし浮世の塵をはなれて仙人の二の舞をまねられ単身岐蘇路を過ぎて焦れ恋ふ故郷へ旅立ちさるゝよし嬉しきやうにてうれしからず悲しきやうにて悲しからず...
正岡子規 「かけはしの記」
...この時虚子(きょし)が来てくれてその後碧梧桐(へきごとう)も来てくれて看護の手は充分に届いたのであるが...
正岡子規 「くだもの」
...これは碧梧桐の碧梧桐たる所以(ゆえん)で感心する外はないが...
正岡子規 「病牀苦語」
...その後百合の句を二子に示して評を乞ひしに碧梧桐は用ありて在所へ行けば百合の花の句を取り...
正岡子規 「病牀六尺」
...(八月二十七日)百八○『ホトトギス』第五巻第十号にある碧梧桐の獺祭書屋(だっさいしょおく)俳句帖抄評の中に砂浜に足跡長き春日かなを評して自分の足跡だか...
正岡子規 「病牀六尺」
...(四月二十四日)碧梧桐(へきごとう)いふ...
正岡子規 「墨汁一滴」
...これ碧梧桐調を摸する者と覚えたり...
正岡子規 「墨汁一滴」
...碧梧桐と数へて来ても...
室生犀星 「俳句は老人文学ではない」
...雑誌『曲水』に河東碧梧桐氏があれほどの大名と仕事をされてゐながら...
室生犀星 「俳句は老人文学ではない」
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