...石巻市は宮城県にあります...
...石巻で美味しい海鮮が食べられます...
...東日本大震災の被災地の一つが石巻市です...
...石巻駅からは気仙沼や仙台にもアクセスできます...
...石巻沖で水揚げされたカツオは有名です...
...石巻の木野という人が...
中里介山 「大菩薩峠」
...駒井の殿様は今明日のうちに石巻の港へお着きになる...
中里介山 「大菩薩峠」
...昔、伊達政宗が、支倉(はせくら)六右衛門をローマへ使者として遣(つか)わす時分に、船出の港として選んだのがこの月ノ浦だ」「なるほど、伊達政宗がローマへ使を遣(や)った時の船が、ここから出たのですか」「そうです、それが最初から我々の頭にあるものですから、石巻とは言い条、寧(むし)ろここを我々の投錨地(とうびょうち)――次第によっては当分、第二の根拠地と想像して、予定してやって来たのですが、来て見ると案外でした」「どう案外でした」「どうも、政宗があれだけの船おろしをしたのは、この浦ではないようです」「どうしてそれがわかります」「あの時は――政宗が拵(こしら)えた船は、幕府からも船大工十人の補助を受けてやった仕事なのですが、長さが十八間、幅が五間半、高さが十四尺、乗組は南蛮人を合わせて百八十人という多勢ですが、どうもこの地へ来て見ると、ここでそれだけの造船がやれそうには思われないのだ」「なるほど」「伊達政宗という人は、船を造ることにはかなり興味を持っていた男だが、その事業や、野心の程度などについては、多くの疑問が残されている、月ノ浦の地形を見て、いよいよその問題が大きくなってきたところだ」「そうだろう、独眼竜、あいつ、なかなか食えない奴だからな」と田山白雲が、伊達政宗を友達扱いででもあるように言い放ちますと、駒井甚三郎が、「そうです、政宗はなかなか食えない男です、邪法国(くに)を迷わすなんぞと、詩にまでうたっていながら、その事実、宣教師を保護し、切支丹(きりしたん)を信じていたのですな...
中里介山 「大菩薩峠」
...ですから、駒井にとっては、この地は曾遊(そうゆう)の馴染があって、その当時、藩の要路にも充分の懇意があったものですから、相当の気安さで旅行もできるし、また石巻、松島、塩釜、仙台の間は、通学の往復路のようなものでしたから、少し立入れば、今でも顔馴染がいくらもある...
中里介山 「大菩薩峠」
...石巻へ来て、ともかく、ここで一泊の上、一石三鳥の使命を再検討しなければならない自省心によって、白雲の漂浪性が取りとめられたようなもので、もしこのことなくば、白雲の今度の旅にも全く糸目というものがなく、このまま三日月の円くなり、明月の三日月になるまで、南部領あたりを巡っていたかも知れないのです...
中里介山 「大菩薩峠」
...その石巻の田代屋というのへ...
中里介山 「大菩薩峠」
...現に昨晩泊った石巻の港が...
中里介山 「大菩薩峠」
...最前仕立てて置いたあれで石巻までやってくれ給え...
中里介山 「大菩薩峠」
...「これは何だ」石巻左陣はサッと顔色を変えました...
野村胡堂 「銭形平次捕物控」
...俺はこの野郎と一と汗掻く」「何を無礼」「御用だぞッ」平次はパッと石巻左陣に飛びかかったのです...
野村胡堂 「銭形平次捕物控」
...武芸の心得の怪しい石巻左陣を取って押えると...
野村胡堂 「銭形平次捕物控」
...石巻左陣は丸屋六兵衛殺しの罪状が明らかになって...
野村胡堂 「銭形平次捕物控」
...石巻山などのやうに...
別所梅之助 「石を積む」
...天明七年にはさらに陸前に入って来て、石巻から松島、仙台までも見物をした様子だが、これも記録がはたしてあるかどうか...
柳田国男 「雪国の春」
...石巻(いしのまき)から乗った自動車が...
柳田国男 「雪国の春」
...石巻にも店を張っている筈だ」――石巻の店は弟の政吉がやっているということです...
山本周五郎 「樅ノ木は残った」
...かれらは石巻(いしのまき)街道を北に向かい...
山本周五郎 「樅ノ木は残った」
...石巻から小汽船で金華山に渡り...
吉川英治 「随筆 新平家」
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