...さうしてつらい報酬的な瞋恚に何遍も何遍も燃え上つたればこそその一心の把持といふ言葉が出て來たのだ……...
田山花袋 「道綱の母」
...ヘーレーに對しては怒らず瞋恚催さず...
ホーマー Homer 土井晩翠訳 「イーリアス」
... 205瞋恚を胸に蓄へて互に離れ...
ホーマー Homer 土井晩翠訳 「イーリアス」
...之を瞋恚の言句もて叱り罵る者あらば...
ホーマー Homer 土井晩翠訳 「イーリアス」
...瞋恚の爪を私の胸に立てようとしていたのだ...
豊島与志雄 「理想の女」
...その怖るべき瞋恚の一念に駆(か)られて...
中里介山 「大菩薩峠」
...同年五月三日の條に御方兵由利中八郎維久、於若宮大路射三浦之輩、其箭註姓名、古郡左衞門尉保忠郎從兩三輩中此箭、保忠大瞋兮、取件箭返之處、立匠作之鎧草摺之間、維久令與義盛、奉射御方大將軍之由、披露云々同五月五日の條に去三日由利中八郎維久、奉射匠作事、造意之企也、已同義盛、可彼糺明之由、有其沙汰、被召件箭於御所之處、矢注分明也、更難遁其咎之旨、有御氣色、而維久陳申云、候御方防凶徒事、武州令見知給、被尋決之後、可有罪科左右歟云々、仍召武州、武州被申云、維久於若宮大路、對保忠發箭及度々、斯時凶徒等頗引返、推量之所覃、阿黨射返彼箭歟云々、然而猶以不宥之云々五月三日の條と同五日の條とは若吾妻鏡が一人の手に成りたる日記なりとせば、明に其間に矛盾の存することを見るべく、此矛盾を解釋せんには三日の條の記事を以て追記なりとせざるを得ず、然らざれば三日に於て既に明白なる事實が、五日に於て疑義となること怪むべきことなり、且三日の記事は既に其中に於て矛盾を含めり、慥に御方に候せる維久が、故に矢を義盛に送りて泰時を射さしめたりといふが如きは、事實上あり得べからざることにして、此矛盾は益三日の記事の麁忽に追記せられたることを證する者なり...
原勝郎 「吾妻鏡の性質及其史料としての價値」
...この世のありとあらゆる冷酷と瞋恚がこの顔一つに凍りついたかに見えたのである...
久生十蘭 「魔都」
...瞋(いか)りに燃えたって来た...
本庄陸男 「石狩川」
...その他蛇を瞋恚(しんい)の標識とせる事多きは...
南方熊楠 「十二支考」
...人に逢わば瞋(いか)り睨み...
南方熊楠 「十二支考」
...仙人瞋つて王を詛ひ...
南方熊楠 「詛言に就て」
......
山口芳光 「街のシルヱツト」
...彼女の瞋恚(しんい)は解けようもない...
吉川英治 「私本太平記」
...彼の瞋恚(しんい)に炎(ほむら)となっていたものらしい...
吉川英治 「私本太平記」
...悉(ことごと)く瞋恚(しんい)の焔(ほむら)のごとく...
吉川英治 「新書太閤記」
...孫兵衛の瞋恚(しんい)の耳には...
吉川英治 「鳴門秘帖」
...インカは眼を瞋らせ眉を顰めて答えた...
和辻哲郎 「鎖国」
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