...七月三十一日我昔所造諸悪業――皆由無始貪瞋痴――従身口意之所生――一切我今皆懺悔――カルモチンのおかげで...
種田山頭火 「其中日記」
...今しも三人の若者が眼を瞋(いか)らし...
田山花袋 「重右衛門の最後」
...私には馴染のふかい例の瞋恚(しんい)のまなざしでわたしの眼を睨みつけて...
アントン・チェーホフ Anton Chekhov 神西清訳 「妻」
...……そうして心の中は瞋恚(しんい)の焔(ほのお)に燃えたり...
近松秋江 「霜凍る宵」
...瞋恚はげしくカルハース睨みて暴く叫び曰ふ...
ホーマー Homer 土井晩翠訳 「イーリアス」
...眼を瞋(いか)らし...
中里介山 「大菩薩峠」
...大千世界を焼き亡ぼすの瞋恚の炎といえども...
中里介山 「大菩薩峠」
...畜生ツ」お組の爆發する嬌瞋(けうしん)の前に八五郎はまことに散々です...
野村胡堂 「錢形平次捕物控」
...嬌瞋(けうしん)を發すると...
野村胡堂 「錢形平次捕物控」
...瞋(いか)り恚(はらだ)ち愚癡我慢...
林芙美子 「ボルネオ ダイヤ」
...同年五月三日の條に御方兵由利中八郎維久、於若宮大路射三浦之輩、其箭註姓名、古郡左衞門尉保忠郎從兩三輩中此箭、保忠大瞋兮、取件箭返之處、立匠作之鎧草摺之間、維久令與義盛、奉射御方大將軍之由、披露云々同五月五日の條に去三日由利中八郎維久、奉射匠作事、造意之企也、已同義盛、可彼糺明之由、有其沙汰、被召件箭於御所之處、矢注分明也、更難遁其咎之旨、有御氣色、而維久陳申云、候御方防凶徒事、武州令見知給、被尋決之後、可有罪科左右歟云々、仍召武州、武州被申云、維久於若宮大路、對保忠發箭及度々、斯時凶徒等頗引返、推量之所覃、阿黨射返彼箭歟云々、然而猶以不宥之云々五月三日の條と同五日の條とは若吾妻鏡が一人の手に成りたる日記なりとせば、明に其間に矛盾の存することを見るべく、此矛盾を解釋せんには三日の條の記事を以て追記なりとせざるを得ず、然らざれば三日に於て既に明白なる事實が、五日に於て疑義となること怪むべきことなり、且三日の記事は既に其中に於て矛盾を含めり、慥に御方に候せる維久が、故に矢を義盛に送りて泰時を射さしめたりといふが如きは、事實上あり得べからざることにして、此矛盾は益三日の記事の麁忽に追記せられたることを證する者なり...
原勝郎 「吾妻鏡の性質及其史料としての價値」
...『僧護経』にいわく竜も豪(えら)いが、生まるる、死ぬる、婬する、瞋(いか)る、睡(ねむ)る、五時(いつつのとき)に必ず竜身を現じて隠す能わず...
南方熊楠 「十二支考」
...取次もなしに入り来ると瞋(いか)って毒気を吐くを...
南方熊楠 「十二支考」
...大に瞋つて樹一本切り又椰子一顆打破る...
南方熊楠 「詛言に就て」
...貪・瞋・痴・戒・定・恵の六字のが名目双六用に...
山本笑月 「明治世相百話」
...理性と瞋恚(しんい)のあいだに迷いぬく姿であった...
吉川英治 「私本太平記」
...我昔所造(がしゃくしょぞう)諸悪業皆由(かいゆう)無始貪瞋癡(とんじんち)従身語意之所生(ししょしょう)一切我今皆懺悔(いっさいがこんかいさんげ)――右門は今...
吉川英治 「柳生月影抄」
...インカは眼を瞋らせ眉を顰めて答えた...
和辻哲郎 「鎖国」
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