...「真如の境地を目指す」...
...「真如の世界に浸る」...
...「真如の法を学ぶ」...
...「真如に気づく」...
...「真如の光を蓮華に見る」...
...「真如(しんにょ)外(ほか)に非(あら)ず」です...
高神覚昇 「般若心経講義」
...覚メテ真如ノ明ラケキ...
谷崎潤一郎 「瘋癲老人日記」
...出来レバ京都ノ法然院カ真如堂アタリヘ埋メテ貰イタイ...
谷崎潤一郎 「瘋癲老人日記」
...鹿ヶ谷ノ法然院カラ始メテ黒谷ノ真如堂...
谷崎潤一郎 「瘋癲老人日記」
...実と虚と相接するところに虚実を超越した真如(しんにょ)の境地があって...
寺田寅彦 「映画雑感(※[#ローマ数字7、1-13-27])」
...そうなれば現在のいろいろなイズムの名によって呼ばれる盲目なるファナチシズムのあらしは収まってほんとうに科学的なユートピアの真如(しんにょ)の月をながめる宵(よい)が来るかもしれない...
寺田寅彦 「からすうりの花と蛾」
...真如探求から衆生済度へ転向してから低俗になった...
豊島与志雄 「秦の出発」
...もし真如と無明との御解釈を御了解になりたいならば...
中里介山 「大菩薩峠」
...真如は大海の水の如く...
中里介山 「大菩薩峠」
...そこで、真如はただ絶対にして、動もなく、不動もなく、生もなく、死もなく、始めもなく、終りもなき大遍満の存在と致しまして、それに無明が働くことによってのみこの世界にもろもろの現象が起る、その現象が人間世界にもさまざまの悲喜哀楽を捲き起す――何の力が無明を働かして左様な現象を起さしめるのか、それがわからないとおっしゃるのでございましょう――」弁信が一息にこれだけを言って、ちょっと息をきった時に、神妙に聞いていた池田良斎が、ようやく一語をハサムの機会を得まして、「いかにも、その通りです、真如絶対だけなら、絶対だから文句はありませんが、この通り世間相――一切万法と言いますかな、吾々までの存在が、その絶対のうちから起ったのはすなわち真如へ無明が働きかけたものに相違ないとすれば、その無明の起るところ、仮りに水と波との如く、麻と縄との如く、真如と無明とは同一物の変形であるとしても、その同一物を変形せしめた力、すなわち海の水を波立たせる業風と言いますか、麻を縄にする指さきと言いますか、その起るところがわからないのです」弁信は透かさずこれに答えました、「御尤(ごもっと)もの質問ではございますが、せっかく御質問なさるならば、もう少しく細かくごらんになって、真如と無明を分つ力をお調べになる前に、真如を真如とし、無明を無明としてながむる、その見方の立場をさきにごらんになる必要があると存じます...
中里介山 「大菩薩峠」
...真如によって無明がありといたしましても、真如は真如、無明は無明でございまして、それを迷うとすれば別に迷い手がなければなりますまい、その迷うところのものが即ち梨耶でございまして……すでに、真如と無明を分つ以上は、ここにまた一つの阿梨耶識という分ち手を加えなければなりますまい...
中里介山 「大菩薩峠」
...真如が無明によって薫習(くんじゅう)せられて...
中里介山 「大菩薩峠」
...望陀郡真里公村なる天寧山真如寺の門前の禁(きんぼう)の文にも...
穂積陳重 「法窓夜話」
...心に真如の月澄まんとしたが...
正岡容 「小説 圓朝」
...普陀山上真如月...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...「真如(しんにょ)を映すものは、真如である...
吉川英治 「親鸞」
...そのころ真如堂(しんにょどう)の北にいた落合君のところを十時ごろに訪ねた...
和辻哲郎 「巨椋池の蓮」
...あるいは無念の真如(しんにょ)を受けしめんがためではない...
和辻哲郎 「日本精神史研究」
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