...但し主として秋水幸徳傳次郎が相州湯ヶ原の温泉宿より拘引せられたるを報ずるのみにして...
石川啄木 「日本無政府主義者陰謀事件經過及び附帶現象」
...相州(さうしう)酒匂(さかは)松濤園(しようたうゑん)に一泊(いつぱく)...
泉鏡太郎 「熱海の春」
...明治二十七年七月相州箱根駅において開設せられしキリスト教徒第六夏期学校において述べし余(よ)の講話を...
内村鑑三 「後世への最大遺物」
...七日、丁酉、去る四日の弓の勝負の事、負方の衆所課物を献ず、仍つて営中御酒宴乱舞に及び、公私逸興を催す、以其次、武芸を事と為し、朝廷を警衛せしめ給はば、関東長久の基たる可きの由、相州、大官令等諷詞を尽さると云々...
太宰治 「右大臣実朝」
...相州さまも流石にそこは見抜いておいでの御様子で...
太宰治 「右大臣実朝」
...すなはちのちの相州さまの事で...
太宰治 「右大臣実朝」
...このお方はただ温厚のお方のやうで二念なく御実兄の相州さまのお下に控へていらつしやいましたし...
太宰治 「右大臣実朝」
...相州さまのあまりの御仕打をお憎み申し上げたものでございました...
太宰治 「右大臣実朝」
...相州さまと火の発するほどに強い御衝突が起りまして...
太宰治 「右大臣実朝」
...相州さまであらうが何であらうが...
太宰治 「右大臣実朝」
...コレハ誰ノ文章デスと呆れなさつたやうにお眼を丸くして相州さまにお尋ねになりました...
太宰治 「右大臣実朝」
...五月三日 巳剋大膳大夫相模守けれども相州さまは...
太宰治 「右大臣実朝」
...相州さまも、その頃は故左衛門尉義盛さまのお跡を襲つてこのたびは侍別当をも兼ね、いきほひ隆々たるもので、けれども決してあらはには高ぶらず、かへつて頭を低くなされて、私ども下々の者にも如才なく御愛嬌を振撒き、将軍家に対しては、また別段と、不自然に見えるくらゐに慇懃鄭重の物腰で御挨拶をなされ、将軍家もまた、以前にくらべると何かと遠慮の、お優しいお言葉で相州さまに応対なさるやうになり、うはべだけを拝見するとお二人の間は、まへにもまして御円満、お互ひにおいたはりなされ、お睦げでございまして、そのとしの七月七日に、仮御ところに於いて、合戦以来はじめての和歌御会がひらかれました時にも、めづらしく相州さまがその御会に御出席なされ、松風は水の音に似てゐるとか何とかいふ、ほんの間に合せ程度の和歌を二つ三つお作りなさつたりなど致しまして、どなたも感服なさいませんでしたが、将軍家だけはそのやうなお歌をもいちいちお取上げになり、さすがに人間の出来てゐるお方はお歌もしつかりして居られる、とまんざら御嘲弄でもなささうな真面目の御口調でおほめになりまして、なるほどさうおつしやられて見ると、相州さまのお歌は、松風は水の音にしても、また鶉が鳴いて月が傾いたとかいふ歌にしても、なんでもない景物なのに相州さまがおよみになると、奇妙に凄いものが感ぜられない事もないやうな気もいたしまして、まことに相州さまといふお人は、あやしいお人柄の方でございます...
太宰治 「右大臣実朝」
...相州さまも入道さまも...
太宰治 「右大臣実朝」
...相州足柄(あしがら)山で熊の子と角力を取つて育つたやうな男...
野村胡堂 「錢形平次捕物控」
...同晦日の條に相州著遠江國橋本驛云々とこれによりて見れば記者にはなほ相州の身に添へる一分身ありけるなり...
原勝郎 「吾妻鏡の性質及其史料としての價値」
...相州(そうしゅう)〔神奈川県〕...
牧野富太郎 「植物知識」
...相州愛甲(あいこう)郡煤(すす)ヶ谷(や)の山村などで...
柳田國男 「野草雑記・野鳥雑記」
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