...」と相州さまはひとりごとのやうに...
太宰治 「右大臣実朝」
...相州さまに仰せられたことも...
太宰治 「右大臣実朝」
...それから相州さまや武州さま...
太宰治 「右大臣実朝」
...」とお傍に居合せた相州さまが...
太宰治 「右大臣実朝」
...相州さまも、その頃は故左衛門尉義盛さまのお跡を襲つてこのたびは侍別当をも兼ね、いきほひ隆々たるもので、けれども決してあらはには高ぶらず、かへつて頭を低くなされて、私ども下々の者にも如才なく御愛嬌を振撒き、将軍家に対しては、また別段と、不自然に見えるくらゐに慇懃鄭重の物腰で御挨拶をなされ、将軍家もまた、以前にくらべると何かと遠慮の、お優しいお言葉で相州さまに応対なさるやうになり、うはべだけを拝見するとお二人の間は、まへにもまして御円満、お互ひにおいたはりなされ、お睦げでございまして、そのとしの七月七日に、仮御ところに於いて、合戦以来はじめての和歌御会がひらかれました時にも、めづらしく相州さまがその御会に御出席なされ、松風は水の音に似てゐるとか何とかいふ、ほんの間に合せ程度の和歌を二つ三つお作りなさつたりなど致しまして、どなたも感服なさいませんでしたが、将軍家だけはそのやうなお歌をもいちいちお取上げになり、さすがに人間の出来てゐるお方はお歌もしつかりして居られる、とまんざら御嘲弄でもなささうな真面目の御口調でおほめになりまして、なるほどさうおつしやられて見ると、相州さまのお歌は、松風は水の音にしても、また鶉が鳴いて月が傾いたとかいふ歌にしても、なんでもない景物なのに相州さまがおよみになると、奇妙に凄いものが感ぜられない事もないやうな気もいたしまして、まことに相州さまといふお人は、あやしいお人柄の方でございます...
太宰治 「右大臣実朝」
...新しい御ところも御落成いたし、八月二十日にさかんな御儀式を以て御入りなされ、御ところの御設計に就いての御熱中も一段落と思ふと、こんどはこの和歌に最後の異常の御傾倒がはじまりまして、御政務は、やはりひと任せ、日夜、お歌の事ばかり御案じなされて居られる御様子で、お奥の女房たちを召集めて和歌の勝負をお言ひつけになるとすぐにまた、女人には和歌がわからぬ、とおつしやつて、武州さま、修理亮さま、出雲守さま、三浦左衛門尉さま、結城左衛門尉さま、内藤右馬允さま等のれいの風流武者の面々を引連れて火取沢辺に秋草を御興覧においでになり、たいへんの御機嫌で御連歌などをなされ、相州さまこそ、何もおつしやらない御様子でごさいましたが、数ある御家人の中には、その頃の将軍家の御行状に眉をひそめて居られたお方もあつた御様子で、たうとうそのとしの九月二十六日には、短慮一徹の長沼五郎宗政さまが、御ところに於いて大声を張り挙げ思ふさま将軍家の悪口を申し上げたといふ、まことに気まづい事さへ起つてしまひました...
太宰治 「右大臣実朝」
...将軍家も未だ二十五歳、前にも申上げたとほり、お若いうちに異国に渡り、その御見聞をおひろめになられるのは決して悪い事ではなく、たつた半歳か一箇年のお留守番は相州さまにしても入道さまにしても出来ぬといふわけはございませんし、それは京都へおいでになり一年も二年も御滞在になつて京都の御所のお方たちと共鳴なさつたりなどするよりは、幕府にとつても安全の事ではあり、相州さまたちは、このたびの外遊の御計画は、あの官位陞進の御道楽に較べると、まだしも、たちがいいとお思ひになつてゐたやうでもございましたが、しかし、あの陳和卿といふ人物を信頼する気にはどうしてもなれなかつた御様子で、あの者が案内役をつとめるといふならば、この御計画にはあくまでも反対しなければならぬ、といふお考へのやうに見受けられました...
太宰治 「右大臣実朝」
...医師が勧むるまましかるべき看護婦を添えて浪子を相州逗子なる実家――片岡家の別墅(べっしょ)に送りやりぬ...
徳冨蘆花 「小説 不如帰」
...「えッ」ピグミーは、仰山な驚き方をして、「五郎正宗でなければ、郷の義弘という見立ては違いましたか、当りませんか、否縁までも参りませんか、これは、びっくり敗亡」ピグミーは、そこで刀の方に向き直って腕組みをしながら、しきりに地肌や、沸(にえ)の具合を、ながめ入りましたが、「時代違いとは恐れ入りました、失礼ながら、もう一度、篤(とく)と拝見させていただきたいものです……ええと、長さは二尺二寸五分というところですか、片切刃(かたきりば)で大切先(おおきっさき)、無反(むぞり)に近い大板目(おおいため)で沸出来(にえでき)と来ていますね、誰が見ても、相州か、そうでなければ相州伝、これが時代違いとあっては惨憺たるものです」ピグミーは苦心惨憺して、ついに刀の棟へのぼって、その上へ抱きつき、刀の地肌をペロリペロリと二度ばかりなめてみましたが、何かそこで、興に乗じたと見えて、両手で輪を描いて刀の棟にブラ下がり、「ところで、斬れますかね、これは……切れ味はいかがです、斬りましたか、どんなものです、三ツ胴に土壇払(どたんばら)いというあたりへ行きました? むろん、最上大業(さいじょうおおわざ)でございましょうな...
中里介山 「大菩薩峠」
...相州の二宮金次郎になっていたかも知れねえ...
中里介山 「大菩薩峠」
...よく聞くと相州の大山に籠るのだという...
中島敦 「斗南先生」
...相州の厚木でした...
野村胡堂 「銭形平次捕物控」
...相州の箱根山や、野州の日光山へ行けば多く見られる...
牧野富太郎 「植物一日一題」
...我が處女作は明治四十四年三月相州湯河原の山懷(やまふところ)の流に近き宿の古く汚れたる机の上に成りぬ...
水上瀧太郎 「貝殼追放」
...大よそ他の地方も同じである(『相州内郷村話』)...
柳田國男 「野草雑記・野鳥雑記」
...非常に太っ腹ですな、この作者は」「それから」「刀でいえば、相州物のように、斬ればどこまでも切れる...
吉川英治 「宮本武蔵」
...相州附近からあの島へは...
吉川英治 「牢獄の花嫁」
...次第に永引きやがて醫師のすゝめで相州三浦半島に轉地した...
若山牧水 「樹木とその葉」
便利!手書き漢字入力検索