...相州無銘(そうしゅうむめい)の長脇差(ながわきざし)をさし...
芥川龍之介 「伝吉の敵打ち」
...相州(そうしゅう)江(え)の島(しま)の弁財天(べんざいてん)と同体にして...
江見水蔭 「悪因縁の怨」
...こんこんと相州さまにおさとしなされたのでございます...
太宰治 「右大臣実朝」
...またあの承久年間の相州さまといひ...
太宰治 「右大臣実朝」
...五月三日 巳剋大膳大夫相模守けれども相州さまは...
太宰治 「右大臣実朝」
...相州さまは片手を挙げて忠綱さまを制し...
太宰治 「右大臣実朝」
...相州さまから拝領の片淵と号する忠綱さま御自慢の名馬に相違ないのでございますから...
太宰治 「右大臣実朝」
...新しい御ところも御落成いたし、八月二十日にさかんな御儀式を以て御入りなされ、御ところの御設計に就いての御熱中も一段落と思ふと、こんどはこの和歌に最後の異常の御傾倒がはじまりまして、御政務は、やはりひと任せ、日夜、お歌の事ばかり御案じなされて居られる御様子で、お奥の女房たちを召集めて和歌の勝負をお言ひつけになるとすぐにまた、女人には和歌がわからぬ、とおつしやつて、武州さま、修理亮さま、出雲守さま、三浦左衛門尉さま、結城左衛門尉さま、内藤右馬允さま等のれいの風流武者の面々を引連れて火取沢辺に秋草を御興覧においでになり、たいへんの御機嫌で御連歌などをなされ、相州さまこそ、何もおつしやらない御様子でごさいましたが、数ある御家人の中には、その頃の将軍家の御行状に眉をひそめて居られたお方もあつた御様子で、たうとうそのとしの九月二十六日には、短慮一徹の長沼五郎宗政さまが、御ところに於いて大声を張り挙げ思ふさま将軍家の悪口を申し上げたといふ、まことに気まづい事さへ起つてしまひました...
太宰治 「右大臣実朝」
...相州広元朝臣を招請して仰せられて云ふ...
太宰治 「右大臣実朝」
...廿四日、癸卯、晴、将軍家先生の御住所医王山を拝し給はんが為、渡唐せしめ給ふ可きの由、思食し立つに依りて、唐船を修造す可きの由、宋人和卿に仰す、又扈従の人六十余輩を定めらる、朝光之を奉行す、相州、奥州頻りに以て之を諫め申さると雖も、御許容に能はず、造船の沙汰に及ぶと云々...
太宰治 「右大臣実朝」
...相州(そうしゅう)鎌倉二階堂...
太宰治 「狂言の神」
...相州の横須賀に、幕府の造船所が出来たのは昨年のこと...
中里介山 「大菩薩峠」
...いや、引連れて来るのは武田耕雲斎だけではない、武州、相州、野州、房州、総州の諸大名が、みな残らず水戸様に率いられて来る!それからまた一方、西の方から来るのは単に長州の毛利だけではない、備州も来る、雲州も来る、因州も、芸州広島も来る...
中里介山 「大菩薩峠」
...よく聞くと相州の大山に籠るのだという...
中島敦 「斗南先生」
...勘当されて相州厚木(あつぎ)へやられているとも申しました...
野村胡堂 「銭形平次捕物控」
...承久二年正月十四日の條に亥刻相州息次郎時村三郎資時等...
原勝郎 「吾妻鏡の性質及其史料としての價値」
...以前東京帝国大学理学部植物学教室の学生で名は今忘れたが相州鎌倉から来ていた方があって...
牧野富太郎 「植物一日一題」
...想ふに是は相州に流浪し...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
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