...虎符を佩び皐比に坐し...
芥川龍之介 「木曾義仲論(東京府立第三中学校学友会誌)」
...ついに我々をして九皐(きゅうこう)の天に飛翔(ひしょう)することを許さなかったのである...
石川啄木 「時代閉塞の現状」
...私は皐月さんの仰云(おっしゃ)るやうに親になる資格のないものが子供を生むと云ふことは...
伊藤野枝 「私信」
...此度はしなく生田花世氏と安田皐月氏の論文によつて私は始めて本当に考へさゝれたけれどもそれとても矢張両氏のお書きになつたものを土台としての自分の考へでまだちやんとした貞操観にはなつてゐない...
伊藤野枝 「貞操に就いての雑感」
...□安田皐月(さつき)さんが白山(はくさん)前町三八に水菓子店を開業なさいました...
伊藤野枝 「編輯室より(一九一四年一一月号)」
...皐月(さつき)が咲き...
田中貢太郎 「藤の瓔珞」
...富永の弟に荒木蘭皐といふ人がありまして...
内藤湖南 「大阪の町人學者富永仲基」
...其弟の蘭皐は池田の荒木といふ家に養子に行つたが...
内藤湖南 「大阪の町人と學問」
...曰はく禹稷皐陶三后佐唐虞、禹讓稷契及皐陶、堯舜之道、惟禹皐陶見而知之、此萬世所共聖、殷本紀述湯誥曰、古禹皐陶久勞於外、四涜已備、萬民乃有居、后稷降播農殖百穀、三公咸有功於民、故后有立、書序曰、皐陶矢厥謨、禹成厥功、帝舜申之、作大禹皐陶謨益稷、是三后自古論定、雖湯之興、不敢以契入三后而退皐陶也、乃甫刑忽易以伯夷降典折民爲刑、推爲三后、而皐陶不與、漢楊震孫賜遂以皐陶不與三后、恥拜廷尉之官、不知此甫刑之大繆也、堯時姜氏爲四伯、掌四嶽之祀、述諸侯之職、於周則有申甫齊許、(見高詩毛傳)國語史伯言姜爲伯夷之後、許爲大岳之胤、是甫侯之置皐陶進伯夷、代列三后者、私尊乃祖、假王命以寵先靈、穆王耄荒、誠哉其耄荒也、夫成天地之大功者、其子孫未嘗不淳耀惇大、唐虞夏商周而外、楚爲重黎祝融之後、贏爲伯益之後、而伯益實庭堅之子、禹薦益於天、孰謂大理官不列三后乎、史記秦之先始於大業、大業生大費、與禹平水土、大費佐舜調馴鳥獸、是爲柏翳、舜賜姓贏氏、索隱謂大業即皐陶、大費者伯益、即皐陶之子、又列女傳陶子生十五歳而佐禹、曹大家注、陶子即皐陶子伯益也、至皐陶之後、兼封英六、楚人滅六、臧文仲謂皐陶庭堅不祀忽諸者、猶周公之後自魯外、尚有凡蒋茅胙祭也、漢書古今人表只柏益一人、並無伯益柏翳分二人之説、甫侯自侈其家世、而天之所興、人力不與、伯夷姜氏之後、滅於陳田、卒不能與皐陶伯益爭衡、夫子以秦誓繼甫刑、知皐陶伯益之後、將繼稷契禹而代興也、惟王變而覇、道徳變而功利、此運會所趨、即祖宗亦不能聽其不自變、(書古微十一)魏源は禹稷皐陶を三后とすることが定論であるのに甫刑が皐陶を退けて伯夷を入れたのは不都合であると言ひ、それは穆王の時に甫侯が勝手なことをしたのだと論じてゐる...
内藤湖南 「尚書稽疑」
...實は禹稷皐陶を三后とするのも...
内藤湖南 「尚書稽疑」
...秦に行つた儒家は秦の先祖と認めらるゝ皐陶を三后に入れた差異であつて...
内藤湖南 「尚書稽疑」
...皐陶の如く刑罰を掌つた者が重んぜらるゝのは――甫刑で伯夷の如く刑罰を掌つた者を重んずるも同樣であるが――法家名家の起つて以後の晩周の思想たることが知られるのである...
内藤湖南 「尚書稽疑」
......
永井荷風 「書かでもの記」
...淋(さび)しき皐(おか)の上に立つ...
夏目漱石 「薤露行」
......
野口雨情 「枯草」
...東皐(とうかう)と号した...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...成皐(せいこう)(河南省・陽(けいよう)附近)のあたりをさまよっていた...
吉川英治 「三国志」
...くびが堯の時の大理の皐陶に似...
和辻哲郎 「孔子」
便利!手書き漢字入力検索
この漢字は何でしょう??