...「皇紀」は日本の歴史の中で用いられる元号で、自然災害などの年代を表すことが多いです...
...私は昨年、皇紀2679年に建てられた神社を訪ねました...
...この地域では、皇紀を基準にして祭りが行われます...
...明治時代になるまで、皇紀は中国式の元号が主流でした...
...日本で唯一、現在でも皇紀を用いている国立博物館があります...
...三宅島という名の由来も養老三年(皇紀一三七九年)に...
日本経済新聞社 「私の履歴書」
...皇紀二千六百年記念として...
石原莞爾 「最終戦争論」
...清和天皇紀貞観九年の条に曰く...
高木敏雄 「比較神話学」
...皇紀五百七十三年の四道将軍の派遣も...
太宰治 「津軽」
...日本は世界を従属させるべきものであるという主張が『日本紀』の神武天皇紀の「掩八紘而為宇」を根拠とするようなのがその一つである...
津田左右吉 「日本歴史の研究に於ける科学的態度」
...わが皇紀二千五百十五年であり...
徳永直 「光をかかぐる人々」
...今年すなわち慶応の三年は皇紀二千五百二十年じゃによって...
中里介山 「大菩薩峠」
...桓武天皇紀に断三百性殺レ牛用祭二漢神一云々...
中山太郎 「穀神としての牛に関する民俗」
...そうして、天皇紀、国紀は編纂され、唐の使節は来たのである...
蜷川新 「天皇」
...聖徳太子は、四十七歳のときに、「馬子と共に議して、天皇紀、国紀、臣、連、伴造、国造、百八十部、並に公民等の本紀を録している(紀)...
蜷川新 「天皇」
...『論衡(ろんこう)』に雷が樹を打ち折るを漢代の俗天が竜を取るといったと見え、『法顕伝』に毒竜雪を起す、慈覚大師『入唐求法記』に、竜闘って雹(ひょう)を降らす、『歴代皇紀』に、伝教(でんぎょう)入唐出立の際暴風大雨し諸人悲しんだから、自分所持の舎利を竜衆に施すとたちまち息(や)んだと出づ...
南方熊楠 「十二支考」
...雄略(ゆうりゃく)天皇紀の二十二年に...
柳田国男 「海上の道」
...現に『日本紀』の神武天皇紀にも...
柳田国男 「海上の道」
...天武天皇紀の五年十月丁酉の条に...
柳田国男 「海上の道」
...それから遠く溯って反正(はんぜい)天皇紀の注記に...
柳田國男 「野草雑記・野鳥雑記」
...実際に殺され尽しまた死に絶えたということは「景行天皇紀」にいわゆる撃てばすなわち草に隠れ追えばすなわち山に入るというごとき状態にある人民には...
柳田国男 「山の人生」
...この首渡しの日の記事は、玉葉、吾妻鏡、百錬抄、醍醐雑事記、歴代皇紀、そのほか当時の書で記録していないものはない...
吉川英治 「随筆 新平家」
...醍醐帝の皇紀一五九〇年という時代の日本のうちでは...
吉川英治 「平の将門」
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