...皇典研究所、いまの国学院大学、あれだと思っていた...
板谷波山 「美術学校時代の岡倉先生」
...東京麹町区(こうじまちく)飯田町(いいだまち)の皇典(こうてん)講究所では神職の講習会があった...
田中貢太郎 「神仙河野久」
...かつてもいった如く、藩学校の明教館は文政の頃我藩の名君定通公が創始せられたもので、学則の第一に『学は程朱に従ふべき事』とあったのだが、私はそれを取り除けて東京の大学の学規の『道の体たるや物として在らざるなく、時として存せざるなし』云々の文を掲げて、学科は普通科、皇典科、洋典科、医療科、算数科というを置いて、その普通科が実は漢学を主として日本の在来の漢籍やその他西洋の翻訳書等を教授させたのである...
内藤鳴雪 「鳴雪自叙伝」
...尤も皇典科は藩地で多少それを研究していた神官連を用い...
内藤鳴雪 「鳴雪自叙伝」
...先年故人となられた皇典講究所の講師青戸波江翁の女(むすめ)が沼津在に嫁して居られたが...
中山太郎 「屍体と民俗」
...東京飯田町の皇典講究所に後ちになった処がその邸宅で表は飯田町通り裏はお壕の土堤でその広い間をブッ通して占めていた...
牧野富太郎 「植物記」
...東京飯田町の皇典講究所にのちになったところがその邸宅で...
牧野富太郎 「牧野富太郎自叙伝」
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