...さて又癸辛雑譏続集(きしんざつしきぞくしふ)(巻下)に...
京山人百樹刪定 「北越雪譜」
...六日、癸巳、将軍家、広元朝臣の家に渡御、相州、武州等参らる、和歌以下の御興宴に及ぶと云々、亭主三代集を以て贈物と為すと云々...
太宰治 「右大臣実朝」
...三年後の建保元年癸酉のとしに...
太宰治 「右大臣実朝」
...八日、癸亥、快晴、将軍家相州御亭より御所に還御、鷺の怪に依りて、御旅宿已に七十五日を経訖んぬ...
太宰治 「右大臣実朝」
...五日、癸卯、霽、鶴岳の別当公暁、宮寺に参籠して、更に退出せられず、数ヶの祈請を致され、都て以て除髪の儀無し、人之を恠しむ、又白河左衛門尉義典を以て、大神宮に奉幣せんが為、進発せしむ、其外諸社に使節を立てらるるの由、今日御所中に披露すと云々...
太宰治 「右大臣実朝」
...癸卯(みずのとう)...
太宰治 「鉄面皮」
...嘉永六年癸丑(きちゅう)十年四方に遊学の公許を受く...
徳富蘇峰 「吉田松陰」
...自ら折角国家社会主義者をもって任じている(尤もその概念規定などは何でもいいので要するに国家という字が大切なのだが)早大の林癸未夫教授が...
戸坂潤 「現代日本の思想対立」
...大正癸亥(きがい)の年の夏...
永井荷風 「桑中喜語」
...剣術の全盛兎(と)に角(かく)に癸亥(みづのとい)の前後と云うものは...
福澤諭吉 「福翁自伝」
...去る癸丑の秋より籌海の書數十篇を見るに...
松浦武四郎 「他計甚※[#「麾」の「毛」に代えて「公の右上の欠けたもの」、第4水準2-94-57](竹島)雜誌」
...詩集に「癸酉早春...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...」霞亭が備後に往つたと云ふ癸酉は文化十年で...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...わたくしは渋江抽斎伝に枳園が癸未の年に始て蘭軒に従学したことを言つた...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...末(すゑ)には「文政六年歳次癸未秋九月下澣...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...此誠之館は二年前癸丑の歳に落成した学校である...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...」以上は松田氏が柏軒の癸亥七月十九日淹京中の死を以て所を得たものとする論断である...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...六年癸丑、七歳...
森鴎外 「能久親王年譜」
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