...廿一日、癸巳、陰、京都の使者、去る十日の除目の聞書を持参す、将軍家従二位に叙せられ給ふ...
太宰治 「右大臣実朝」
...六日、癸巳、晴、坊門黄門、去る六月二日仙洞歌合の一巻を将軍家に進ぜらる、是内々の勅諚に依りてなりと云々...
太宰治 「右大臣実朝」
...十七日、癸酉、晴、戌剋三度地震...
太宰治 「右大臣実朝」
...廿四日、癸卯、晴、将軍家先生の御住所医王山を拝し給はんが為、渡唐せしめ給ふ可きの由、思食し立つに依りて、唐船を修造す可きの由、宋人和卿に仰す、又扈従の人六十余輩を定めらる、朝光之を奉行す、相州、奥州頻りに以て之を諫め申さると雖も、御許容に能はず、造船の沙汰に及ぶと云々...
太宰治 「右大臣実朝」
...癸酉(きゆう)より庚子(こうし)に至りて在位二十八年...
徳富蘇峰 「吉田松陰」
...(事は文久三癸亥(きがい)の年に在り)この事情に従(したがっ)て維新(いしん)の際に至り...
福沢諭吉 「旧藩情」
...十年癸酉進徒士将領(歩行頭)之列...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...「癸酉終歳臥病、家貲頗乏、数人為結義社、仮与金若干、記喜...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...秋水が書を出し示した四年癸巳より見れば去年も此年も均(ひと)しく一年前でなくてはならない...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...癸酉は高宗の咸享四年であらう...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...此年癸未に至るまで...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...享和癸亥歳晩...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...その二百五十わたくしは此年天保癸卯に関藤藤陰が解褐(かいかつ)したことを記して...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...その三百十四癸亥の歳将軍徳川家茂が上洛した時...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...「文久三年癸亥七月七日の...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...その三百五十八わたくしは此より明治癸酉五月以後の棠軒日録を抄する...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...然(しか)るに天保(てんぽう)四年癸(みずのと)巳(み)の歳(とし)十二月二十六日の卯(う)の刻過(すぎ)の事である...
森鴎外 「護持院原の敵討」
...十五日に三歳の癸巳(きし)を失っていた...
森鴎外 「渋江抽斎」
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