...田子ノ浦港からの往復乗船券があるか聞いてみて...
...その一組が当河野家へ来揃うと、この時だけは道子と共に、一族残らず、乳母小間使と子守を交ぜて、ざっと五十人ばかりの人数で、両親(ふたおや)がついて、かねてこれがために、清水港(みなと)に、三保に近く、田子の浦、久能山、江尻はもとより、興津(おきつ)、清見(きよみ)寺などへ、ぶらりと散歩が出来ようという地を選んだ、宏大な別荘の設(もうけ)が有って、例年必ずそこへ避暑する...
泉鏡花 「婦系図」
...珍田子は久しぶりに豆腐を食つた...
薄田泣菫 「茶話」
...三田子爵(みたししゃく)は...
葉山嘉樹 「海に生くる人々」
...古田子之作を密告したのはあたしなんです...
久生十蘭 「金狼」
...伊豆組の三郎助、福松、田子村の丑蔵、音七、亀崎の半兵衛の五人は、益もない繰言のあげくは争論になり、海が荒れだすと、あわてて念仏をとなえ、凪ぎるとまたぞろ愚痴、「おゝおゝ、国元ではどんなに案じていることだろう...
久生十蘭 「重吉漂流紀聞」
...この有様を見た水産講習所の田子教授は...
武者金吉 「地震なまず」
...地震の前に深層のプランクトンが表層に浮き上がることは、田子教授の観察、末広恭雄博士の研究によって明らかであるが、これも地震前に発する微動のためかも知れない...
武者金吉 「地震なまず」
...袖(そで)濡(ぬ)るるこひぢとかつは知りながら下(お)り立つ田子の自(みづか)らぞ憂(う)き古い歌にも「悔(くや)しくぞ汲(く)みそめてける浅ければ袖のみ濡るる山の井の水」とございます...
紫式部 與謝野晶子訳 「源氏物語」
...自分並藤田子同所へ出張被仰付...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...藤田子私用にて同行...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...黄母衣組の一人田子大弥太を人なき所へ招き入れ...
吉川英治 「私本太平記」
...田子六郎左の方だった...
吉川英治 「私本太平記」
...腹心の家来、田子大弥太、早川主膳、民谷玄蕃などだった...
吉川英治 「私本太平記」
...田子(たご)という部落まで遁(のが)れてゆく...
吉川英治 「新書太閤記」
...山の麓の海岸には沼津の千本松原からかけて富士川の川口の田子の浦...
若山牧水 「樹木とその葉」
...おほかた田子の浦はこの邊に當ると聞いてゐたので道を左に折れ...
若山牧水 「樹木とその葉」
...其処の渚には静浦の浜に起り千本浜を経てとおく富士川の河口田子の浦に及ぶ松原あり...
若山牧水 「みなかみ紀行」
...泡浪立った広い入江の奥に位置する田子の宿が直ぐ眼下(ました)に見えた...
若山牧水 「みなかみ紀行」
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