...不幸な人を生むのか...
千家元麿 「自分は見た」
...天女その妻となること十年にして、一子を生む...
高木敏雄 「比較神話学」
...次に億岐(おき)洲と佐渡洲を双子に生む...
田中貢太郎 「日本天変地異記」
...其民の舟六十をアンカイオスの生むところ...
ホーマー Homer 土井晩翠訳 「イーリアス」
...またかなり複雑な家庭が生む様々な出来事に対しても...
長谷川時雨 「柳原※[#「火+華」、第3水準1-87-62]子(白蓮)」
...あのような高貴の方も子供さんを生む...
林芙美子 「新版 放浪記」
...男の子か女の子を生むよ...
ニコライ・ゴーゴリ Nikolai Vasilievitch Gogolj(Николай Васильевич Гоголь) 平井肇訳 「死せる魂」
...頻(しき)りに子を生むの要用を感じ...
福沢諭吉 「日本男子論」
...絶望を生むことが多いにしても...
ブロンテイ 十一谷義三郎訳 「ジエィン・エア」
...先づ文學の方面からしてお話致しますが、文學の方面におきまして先づ御話しなければならぬのは物語のことである、物語は世界文學の中印度が一番古いのであつて、而して此の物語は印度文學の中の甚だ大切な部分を形作つて居り、是が世界の文學に對し大なる影響を與へたものである、佛教を御存じの御方は大抵知つて居らるるでありませうが、佛教の經文の中に本生經と云ふものがある、是は佛の前世に於て何う云ふものになつて法を説いたかと云ふことを書いたものである、中には或は動物になつたり、或は商人になつて居ることもあり、樣々に體を變へ形を異にして法を説いたことが書いてある、本生經とは印度に昔から物語があつて、日本の勝ち/\山桃太郎のやうな種類のものであつたが、佛は之に因つて其法を説いたもので、古代から人の口に傳はつて來た卑近な物語を佛教的に換骨脱胎したのである、今殘つて居る本生經は隨分澤山あつて、中には非常に面白いものもあり、又詰らぬものもある、又長いのも短いのもありますが、本生經は印度佛教の中に於て一番古いものに屬するのであります、夫から後に五卷書 Pancatratar といふものが出來た、此は南方印度の或國王が自分の子供を教育する爲に、一人のバラモンを頼んで人間の道を教へて呉れと云ふことを任した時に其バラモンが此の書を編纂して教へたと云ふのである、此書の中にも色々な話が書いてあるが全く本生經によつたのである、本生經は佛經的に出來て居るが是はバラモンの書いたものであるから、バラモン主義になつて居る、而して此が世界の文學に於て大變な影響を與へたのである、紀元後五百年頃波斯の王のコスル、ヌシルヴアン(Khosru Nushirvan)と云ふ人が自分の侍醫からして印度には誠に不思議な藥がある、此の藥を飮むと總ての人間が不死なることを得ると云ふことを聞き、何うかして其の藥を得たいものであると考へまして、此藥を求むる爲に特に其侍醫を印度へ遣はした、侍醫は王命に依つて其の靈藥を尋ねに往つたが何うも見當らない、何しても判らぬから已むを得ず或るバラモンの物識に逢うて之を問ふた、實は私は王の命令を受けて靈藥を求めに來たのだが何處に是を求むべきであらうかと、バラモンは之を聞いて云ふには夫れはあるが其靈藥は文字通りに解釋すべきものではない、印度には智惠の書といふものあるが、是を讀むと愚も賢となり、穢れたものは清淨となり、罪あるものも罪なくなる、是れが即ち靈に死する者の能く甦へり、不老不死を得る不思議の妙藥であると言つた、夫から彼の波斯王の侍醫は遂に其の書物のパンチヤタントラを得て歸つた、波斯へ歸つてから其の旨を王に言上し初めて之を波斯語に飜譯した、此の飜譯した書物の標題は是をカリラク、ダムナグと云ひます、此標題のカラタカ、ダマナカ(波斯音に轉訛して前の如くいふ)と云ふのは二疋の山犬の名であつて、實は彼の書物の第一卷目の主人公となつて、其の話の中に屡次出る所のものであるから、其主人公の山犬の名を取つて書物に名附けたのである、此譯が段々西方へ傳はりまして七百年の中程には波斯譯から更に亞拉比亞譯が出來た、ピルパイの物語と云ふ書物も亦是と同じである、サンスクリット語でヴイドヤーパチーといふ語は學者の意義で、夫れが訛つて亞拉比亞語ではビドバーとなり、更に近世歐羅巴語に轉じてビドパイ或はピルパイと成つたのである、亞拉比亞語の譯が出來てから又三百年ばかり後に於て希臘譯が成り次に羅甸、西班牙、ヘブリユとなり、夫から近代歐羅巴の伊太利語、佛蘭西語、英吉利語、獨逸語と方々に譯されて居る、エソツプ物語のエソツプは希臘の物語記者でありますけれども、學者に依つては實際エソツプといふ人は居ないのであると迄疑ふものもありますが、兎に角其のエソツプ物語と名づけて居るものの内にある多くの話は前の五卷書にあるものと一致して居る、而して此物語が諸國を遍歴する中には色々の標題に變つて居る、例へば伊太利譯には道徳哲學といふ堂々たる名が附けられ、佛蘭西譯の中には光明の書と標題を附けたのもある、色々其の名は違つて居るがツマリ此物語が元になつて出來て居るのである、諸君も御存じのアラビヤンナイトと云ふ書物は、元來印度に出來たのではありませぬが、併し印度の物語を手本として書いたものである、而して其の教訓變遷の工合が又中々面白い、一番初めは佛教徒の集めて置いたものであるから佛教主義の教訓書であつた、が次にはバラモンの手に移りバラモン教的のものとなり、波斯、バクダットを經、君士坦丁堡に入り、夫から歐羅巴に這入り耶蘇教的のものともなつた、尚其の旅行の途中には物語の消滅してしまつたものもあれば、段々變形して顯はれ來つたものもある、長い道中のことであるから自然所に應じて形が變つたり、又無くなつたものである、佛のラフオンテーンの話も畢竟は皆カリラグから出たもので其の元は五卷書である、最後に其の話の變化の仕方を一寸述べて見やう、ラフオンテーンの物語の七卷の十に牛乳搾の女の話がある、其の話の大體は次のやうなことである、或時牛乳搾の女が牛乳を搾つて其の搾取つた甕をば頭へ載せて市塲へ賣りに行つた、が未だ年若い女であるから途中色々の空想を懷いた、今頭に載せて居る牛乳を市塲で賣れば是だけの利益がある、其の利益で鷄卵を買うて而して雛を拵へる、夫を賣ると是だけの利益になる、利益が段々大きくなるから今度はそれで豚を買ふ、夫を大きくして又之を賣ると大丈夫牛が買へる、牛が子を生む、さうすれば自分が立派な牛乳屋の主人となることが出來る、實に愉快であると市塲へ行く間に考へた、其のおしまひの牛乳屋の主人となる考へを起した時は最早現在出世したやうな心持で嬉しくて/\雀躍した、所が頭の壺はコロリと落ちて甕は破れ牛乳は流れ去つて迹方も無くなつてしまつたと云ふ話がある、ツマリ空想に耽けるの馬鹿氣たことを書いたのであらうが、是がパンチヤタントラの本に出てあるのである、是に依るとバラモンの坊樣が托鉢して鐵鉢の内に米を貰つて來、其れを寢床の隅に懸けて寢た、而して夢に色々の事を考へた、ドウか今年は饑饉でありたいものだ、饑饉年であれば米が高くなる、そこで此の鐵鉢の米を賣ると非常な利益を得る、其の儲けた金で自分は奇麗な家を拵へ、而して奇麗な女を貰つて自分の細君にしやう、まだ其の妻君には澤山持參金を附けて貰はなければならぬ、夢では何事も意の儘に出來る、彼は忽ち是を實現した、而して細君を娶つてモー子供が出來た、或日子供が自身の傍で遊んで居つた、細君に子供を其方へ連れて行けと云ふたが、細君は自分の言ふことに從はぬ、彼は怒つて足を擧げて蹴倒さんとした、其の時夢中に彼は自分の足を擧げて鐵鉢を蹴放したからたまらぬ、米は四邊に散らばつて最早や拾ふことも出來なくなつたと云ふ、これが其の話の大要である、前の牛乳女の話と唯其の肉を異にするのみで骨は全然同じである、斯う云ふ工合に段々と變つて往つたのである、尤も一例を擧げるとパンチヤダントラと云ふ五卷の書物に山犬の話がある、或る貪慾な山犬が一日山を驅けて居る時に、偶と獵人が死んで居るのを見附けた、而して獵人の傍には弓もある、山犬は宜い獲物があると考へ直に獵人を食はうとしたが、併し獵人は旨さうだから後の樂として、先づアノ弓から食つてやらうと斯う考へて其弓弦を食始めた、すると弓弦がパツと切れた、切れた拍子に弓が山犬の眉間に當つて山犬は死んでしまつた、と斯ういふ話がある、所がラフオンテーンにも是れと殆ど同じことが書いてある、が唯山犬は狼となり、弓に觸れた時矢が當つて死んだと變つて居るのみである、然う云ふやうに地方々々に適するやうに次第に變つて來たものである、是等が即ち文學上の物語の話で、近世歐羅巴に於て最も多く人の愛讀する物語の多くは印度の材料からして變化し來つたものであることを證據立てる、又佛の傳記は印度に於ては中々勢力があつたもので、紀元後四五世紀以後には益其の想像を逞くし、其の文章を修飾した、その傳記が口から口へと傳はつて亞拉比亞からシリアへ入り此にヨザフアート物語なるものとなつた、此は耶蘇教では一時バイブルに次ぐ大變大切なものとなつて歐羅巴人の愛讀する所であつた、是れも佛教文學が歐羅巴に至つて耶蘇教文學と成つて、人心に大なる影響を與へたものであります、夫れから佛教の傳播に由つて支那や日本に於ける文學に影響を與へたことは今更論ずるに及ばない、近代西洋文學でも直接間接に印度の文學から尠からぬ影響を受けた獨逸の有名な作者シルラーの脚本にマリア、スツアルトといふのがあります、是れは其の全部ではありませぬけれども、或一部分は印度のカーリダーサと云ふ有名な作者の書いたメガヅータ(雲の使)と云ふ脚本から脱化し來つたものであるといふ、又ハイネの蓮華、其の他短かな詩の中にも、印度の思想を土臺として作つた所のものがあります、尚近來に於ては有名な獨逸の詩人リユツケルトに婆羅門智と云ふ作がある、是れは彼の英吉利のマクスミユラーが非常に賞賛し、ゲーテーも尚及ばぬ所があると云つて居るものである、是は名の通りバラモンの思想を詠じたので、全く印度の思想から出來たものである、以上論ずる所に據つて之を見ると西洋に於ても東洋に於ても、古代にあつても將た近代にあつても、印度の文學は實に大切なる地位を世界の文學の上に有するものと言はなければならぬ、從つて又直接若くは間接に東西の人心を支配したことも決して少からぬと考へる、文學の事は先づ是れだけにしておいて、次には哲學に就き少しくお話致したいと思ひます...
松本文三郎 「世界に於ける印度」
...寧ろ事實は意識を生むものなのである...
三木清 「歴史哲學」
...何等の目的も無く生むで置きながら...
三島霜川 「平民の娘」
...その後ほどなく父王の第四妃その生むところの子を王に嗣(つ)ぎ立てしめんとて...
南方熊楠 「十二支考」
...文之助を生む...
森鴎外 「大塩平八郎」
...土地の人はこのやり方だけが生む織物の佳(よ)さをよく識(し)り...
柳宗悦 「手仕事の日本」
...その組立(くみたて)で模様を生むようにしてゆきます...
柳宗悦 「手仕事の日本」
...山姥が子を生むという話は少なくとも室町時代の...
柳田国男 「山の人生」
...生むことは、現にわたしの内から爆(は)ぜる唯(た)だ一つの真実創造、もう是非の隙(すき)も無い...
與謝野晶子 「晶子詩篇全集」
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