...三国時代の呉の将軍甘寧(かんねい)を呉王と尊称し...
太宰治 「竹青」
...「甘寧といえば、黄祖の藩にその人ありと、隣国まで聞えている勇士、さるにても、憐れなることよと、それがしも仔細を聞いて、その心事を思いやり……わが君がお用いあるや否やは保証の限りではないが、有能の士とあれば、篤く養い、賢人とあれば礼を重うしてお迎えある明君なれば、ともあれ御前にお取次ぎ申すであろうと、矢を折って、誓いを示したところ、甘寧はさらに江上の船から数百人の手下を陸へ呼びあげて――否やお沙汰の下るまで慎んでお待ちおりますと――ただ今、龍湫(りゅうしゅう)の岸辺に屯(たむろ)して、さし控えておりまする」三「時なるかな!」と、孫権は手を打ってよろこんだ...
吉川英治 「三国志」
...そして功臣と共に、その後で宴を張っていると、「折入って、お願いがあります」と、甘寧が、彼の足もとに、ひざまずいた...
吉川英治 「三国志」
...甘寧の手引きした呂蒙(りょもう)にも...
吉川英治 「三国志」
...甘寧には兵船百隻に...
吉川英治 「三国志」
...これを甘寧(かんねい)の配下に附属させた...
吉川英治 「三国志」
...「甘寧にござりますが」「おお...
吉川英治 「三国志」
...べつに使いみちがあるから残して行くがよい」甘寧が退がって行くと...
吉川英治 「三国志」
...甘寧(かんねい)...
吉川英治 「三国志」
...「われこそは呉に彼ありともいわれた甘寧(かんねい)である...
吉川英治 「三国志」
...それも甘寧の敵ではなかった...
吉川英治 「三国志」
...甘寧は、説いた...
吉川英治 「三国志」
...呉の甘寧(かんねい)が道をさえぎっていたので...
吉川英治 「三国志」
...はるか見渡すかぎり、人の影も見えず、荊州の城を望めば、まるで葬式のように、二旒(ふたながれ)の白旗がしょんぼりなびいているだけなんです」周瑜は、聞くや否、「甘寧、丁奉と来い」と、精兵千騎だけをつれて、まっしぐらに荊州城下まで駈け通した...
吉川英治 「三国志」
...呂蒙(りょもう)と甘寧(かんねい)の二軍でふくろ包みにしてしまおう...
吉川英治 「三国志」
...先鋒の甘寧軍と、魏軍の楽進とのあいだに、小戦闘が行われたが、魏兵はたちまち潰走したので、呉侯孫権は、「われに当る者あらんや」といよいよ勝ち驕(おご)って前進をつづけていた...
吉川英治 「三国志」
...甘寧が昨夜すばらしい奇功を立てて...
吉川英治 「三国志」
...そして呉随一の戦上手(いくさじょうず)といわれる甘寧が全軍をにらんで遊軍という位置にある...
吉川英治 「三国志」
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