...瑜瑕(ゆか)並び覆(おお)わざる赤裸々の沼南のありのままを正直に語るのは...
内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
...印度に瑜伽(ヨーガ)と稱する苦行の學徒ありき...
高山樗牛 「美的生活を論ず」
...唯物喰(ものぐ)いの悪(わり)いのが可惜(あったら)瑜(たま)に疵(きず)だッて...
二葉亭四迷 「浮雲」
...陳武と周瑜(しゅうゆ)とは同郷なので...
吉川英治 「三国志」
...周瑜は気にもかけなかった...
吉川英治 「三国志」
...張昭と周瑜のふたりは...
吉川英治 「三国志」
...水軍にかけては周瑜ありとは...
吉川英治 「三国志」
...周瑜や魯粛などの大将たちは...
吉川英治 「三国志」
...こよい周瑜が指揮なすところの大江上戦を見物申さん...
吉川英治 「三国志」
...戦勝のお祝いを述べるためにと――玄徳の使いで」中軍にある周瑜(しゅうゆ)のところへ...
吉川英治 「三国志」
...「そんなに日のかかるほどな敵でもあるまい」と、周瑜は、兵一万に凌統をあとに残して、そのほかの主力をことごとく夷陵方面へうごかした...
吉川英治 「三国志」
...八怪しんで、周瑜が、「城頭に立つは、何者か」と、壕ぎわから大音にいうと、先も大音に、「常山の趙雲(ちょううん)子龍、孔明の下知をうけて、すでにこの城を占領せり...
吉川英治 「三国志」
...ついに今度も、空手(からて)で帰国の途につくしかなかったが、途中、柴桑(さいそう)に船をよせて一泊したついでに、周瑜(しゅうゆ)を訪ねて、この次第を話すと、周瑜は、またしても卿は孔明に一杯喰わされたのだと云い、魯粛のあまりにも善意的な見解をなじって、「君の性質は、全然、外交官としては零(ゼロ)だ...
吉川英治 「三国志」
...「さすがは周瑜、これほどな智謀の持ち主は、呉はおろか、当代何処にもおるまい...
吉川英治 「三国志」
...直ちに、早打ちをやって、周瑜を励まし、また程普(ていふ)を大将として、彼を助けしめた...
吉川英治 「三国志」
...主人もすでに、御軍需の用に供える金銀兵糧の用意を済まし、また、諸軍のご慰労などもどうしたがよいかと、心をくだいておられます」船上に登って、糜竺が、こう拝伏して告げると、周瑜は尊大に構えて、「劉皇叔には、今どこにおらるるか」と、質し、すでに荊州の城を出て、貴軍の到着を待っていると聞くと、周瑜は、「こんどの出陣は、蜀を取って、皇叔に進上せんためであって、まったく貴国の為に働くのであるから遠路を来たわが将士には、充分なもてなしと礼をもって迎えられよ」と、特にいった...
吉川英治 「三国志」
...周瑜は聞くと、輿(こし)の中で、身をもがいて叫んだ...
吉川英治 「三国志」
...瑜伽三密(ゆがさんみつ)の霊場叡山を敵として...
吉川英治 「新書太閤記」
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