...柳毅の義弟の薜瑕(せつか)が京畿(けいき)の令となっていたが...
田中貢太郎 「柳毅伝」
...理論上一つの瑕(きず)もない完全な自由も発見されるわけです...
谷譲次 「踊る地平線」
...単純で実直だとあまりに自称しているのは瑕(きず)だったが...
ロマン・ローラン Romain Rolland 豊島与志雄訳 「ジャン・クリストフ」
...その著歌麿伝の価値は此(かく)の如き白璧(はくへき)の微瑕(びか)によりて上下(じょうげ)するものに非(あら)ず...
永井荷風 「江戸芸術論」
...鵜(う)の毛で突いた程の瑕(きず)も見落さずと調べて居ます...
野村胡堂 「錢形平次捕物控」
...可哀さうにひどく掻(か)き瑕(きず)があつたよ」「へエ――」「憎い奴等だ」「太い畜生だ...
野村胡堂 「錢形平次捕物控」
...別段當家の瑕瑾(かきん)になるわけではないが...
野村胡堂 「錢形平次捕物控」
...かならず三十二万石に瑕がつくくらいなことは知っていよう...
久生十蘭 「顎十郎捕物帳」
...一点の瑕瑾(かきん)に易(か)うべからず...
福沢諭吉 「徳育如何」
...瑕(きず)のない揃つた輝いた齒...
ブロンテイ 十一谷義三郎訳 「ジエィン・エア」
...日本では女の顔の黒子(ほくろ)などは美貌の瑕瑾(きず)として現に年頃の娘さんなどはそれを苦にしてわざわざ医師に頼んで抜いて貰ふものさへある位である...
堀口九萬一 「東西ほくろ考」
...この英邁(えいまい)な資性にもかかわらずですね――僕は『かかわらず』と言うのですよ――この男は完全に無瑕瑾(むきず)というわけじゃない...
トオマス・マン Thomas Mann 実吉捷郎訳 「トニオ・クレエゲル」
...すなわち『近江輿地誌略』六一、蒲生(がもう)郡川守村鐘が嶽の竜王寺の縁起を引きたるに、宝亀(ほうき)八年の頃、この村に小野時兼なる美男あり、ある日一人の美女たちまち来り、夫婦たる事三年ののち女いわく、われは平木の沢の主なり、前世の宿因に依ってこの諧(かた)らいを為(な)せり、これを形見にせよとて、玉の箱を残して去った、時兼恋情に堪えず、平木の沢に行って歎くと、かの女長(たけ)十丈ばかりの大蛇と現わる、時兼驚き還ってかの箱を開き見るに鐘あり、すなわち当寺に寄進す、かの沢より竜燈今に上るなり、霊験新たなるに依って、一条院勅額を竜寿鐘殿と下し賜わり、雪野寺を竜王寺と改めしむ、承暦(しょうりゃく)二年十月下旬、山徒これを叡山(えいざん)へ持ち行き撞けども鳴らねば、怒りて谷へ抛げ落す、鐘破れ瑕(きず)つけり、ある人当寺へ送るに、瑕自然愈合、その痕今にあり、年旱(ひでり)すれば土民雨をこの鐘に祈るに必ず験あり、文明六年九月濃州の石丸丹波守、この鐘を奪いに来たが俄(にわか)に雷電して取り得ず、鐘を釣った目釘を抜きけれど人知れず、二年余釣ってあったとあるは、回祖(マホメット)の鉄棺が中空に懸るてふ(〔という〕)欧州の俗談(ギボン『羅馬帝国衰亡史(デクライン・エンド・フォール・オブ・ゼ・ローマンエンパイヤー)』五十章註)に似たり...
南方熊楠 「十二支考」
...微瑕(びか)もない方にして...
紫式部 與謝野晶子訳 「源氏物語」
...蘭軒が混外を評した中に僧の三瑕と云ふことがあつた...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...仮に死んでしまふ自分は瑕瑾(かきん)を顧みぬとしても...
森鴎外 「津下四郎左衛門」
...もしゆくすえ若旦那さまのお名に瑕(きず)のつくようなことでもございましたら...
山本周五郎 「日本婦道記」
...源実朝(みなもとのさねとも)ににもあったということだからこの人だけの瑕瑾(かきん)ではない...
吉川英治 「宮本武蔵」
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