...唯太子は此の主義を實行するに至らずして早世し給ひ、後に三十年程を經て大化の時に主として天智天皇が之を實行せられたので、其の功績は孝徳天智の兩天皇に歸すべきであるけれども、兩天皇の改革は聖徳太子の宏遠な理想規模に據つたことは疑の無いことで、之は單に其の主義から謂ふばかりでなく、大化革新の主なる參謀であつた人々、南淵請安、高向玄理、僧旻など謂ふ人々は、皆聖徳太子が妹子につけて隋に遣はした留學生である...
内藤湖南 「聖徳太子」
...僧の玄理(げんり)は唐から帰朝した...
蜷川新 「天皇」
...品行は玄理を談じて高尚なるべきにあらず...
福沢諭吉 「学問のすすめ」
...跋は片桐玄理と申せし家塾に居りし御存之者(ごぞんじのもの)...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...実に不可思議な玄理(げんり)をあらわした形です...
夢野久作 「夫人探索」
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