...老子に「衆人熙々(きき)...
芥川龍之介 「念仁波念遠入礼帖」
...昔は女性の極位にて御座(ましま)しゝに大清康熙六丁未年王妃に次ぐ御位に改め玉ふなり」ということがあります...
伊波普猷 「ユタの歴史的研究」
...清の康熙十二年)三月のことで...
伊波普猷 「ユタの歴史的研究」
...さて今から二百十七年前すなわち清の康熙五十六年に...
伊波普猷 「ユタの歴史的研究」
...その康熙帝の子孫に至ってどういう事になったというと...
大隈重信 「東亜の平和を論ず」
...――支那花鳥画の名手徐熙の孫で...
薄田泣菫 「艸木虫魚」
...古代更紗で大尽(だいじん)遊び5・3(夕)平岡熙氏といへば...
薄田泣菫 「茶話」
...天下熙々(きき)利のために来たる...
徳富蘇峰 「将来の日本」
...康熙帝が三藩を平げて支那を支配する形勢が定まつてより...
内藤湖南 「支那史學史概要」
...半年ほどたった時老父の熙は突然流行感冒で老妻を先立たせ...
永井荷風 「つゆのあとさき」
...熙は初め中村敬宇(なかむらけいう)の同人社に入り後に佐藤牧山(さとうぼくざん)と信夫恕軒(しのぶじょけん)との二家について学を修め...
永井荷風 「つゆのあとさき」
...熙々として照つてゐた春の陽は何時か烈しい夏の光に變り...
中島敦 「名人傳」
...寛文十二年(康熙十一年)方々に散ばつて居つた尾類(ズリ)...
濱田耕作 「沖繩の旅」
...康熙五十三年版「官板西彊四大部図」を謄写した手製の西蔵地図...
久生十蘭 「新西遊記」
...けだし活字の初は『康熙字典(こうきじてん)』によりて一字々々作りたりといへば活字は極めて正しき者にてありき...
正岡子規 「墨汁一滴」
...しかるに康熙(こうき)某年...
南方熊楠 「十二支考」
...鬆は髮亂と康熙字典に出づ...
南方熊楠 「蓮の花開く音を聽く事」
...碑閣には康熙帝撰文の宝牌がある...
與謝野寛・與謝野晶子 「満蒙遊記」
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