...そこを色々とあげつらつて大殿様の御性行を始皇帝(しくわうてい)や煬帝(やうだい)に比べるものもございますが...
芥川龍之介 「地獄変」
...そこを色々とあげつらつて大殿樣の御性行を始皇帝や煬帝(やうだい)に比べるものもございますが...
芥川龍之介 「地獄變」
...それに國書の如きも隋書に載れる日出處天子致書日沒處天子無恙云々の如きは、其の語氣から察するに、恐らく太子自ら筆を執られたものであつたらしく、全然對等の詞を用ひられたので、隋の煬帝の如き、久しく分離した支那を統一したと謂ふ自尊心を持つて居る天子をして、從來に例の無い無禮な國書だと驚かしめたのである...
内藤湖南 「聖徳太子」
...この本は前漢の昭帝より隋の煬帝までの十三人の肖像を集めしものにして...
内藤湖南 「日本の肖像畫と鎌倉時代」
...「煬帝ノ春游古城在...
永井荷風 「日和下駄」
...〔煬帝(ようだい)の春游(しゅんゆう)せる古城(こじょう)在(あ)り...
永井荷風 「日和下駄」
...隋の煬帝(ようだい)長安(ちょうあん)に顕仁宮(けんじんきゅう)を営(いとな)むや河南(かなん)に済渠(さいきょ)を開き堤(つつみ)に柳を植うる事一千三百里という...
永井荷風 「日和下駄」
...同じく庸王ではなかった隋(ずい)の煬帝(ようだい)や始皇帝(しこうてい)などと共通した長所と短所とを有(も)っていた...
中島敦 「李陵」
...『隋書』煬帝(ようだい)紀...
南方熊楠 「十二支考」
...むかし隋の煬帝(ようだい)...
南方熊楠 「神社合祀に関する意見」
...病源候論は隋の煬帝(やうだい)の大業六年の撰である...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...隋(ずい)の煬帝(ようだい)が立てたという寺である...
森鴎外 「寒山拾得」
...隋(ずゐ)の煬帝(やうだい)が立(た)てたと云(い)ふ寺(てら)である...
森鴎外 「寒山拾得」
...それに手を載せて煬(あぶ)るのである...
森鴎外 「半日」
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