...康煕(こうき)年間の動乱に当って...
伊波普猷 「琉球史の趨勢」
...文恬(ぶんてん)武煕(ぶき)...
徳富蘇峰 「吉田松陰」
...煕々(きき)として照っていた春の陽(ひ)はいつか烈(はげ)しい夏の光に変り...
中島敦 「名人伝」
...ピエール・ディオニスの解剖学をジェスイット僧のP・ペレニンに訳させて西洋の解剖学を導入する康煕帝(1662-1723)の試みは...
マクス・ノイバーガー Max Neuburger 水上茂樹訳 「医学の歴史」
...清(しん)の康煕(こうき)帝が明(みん)末の遺臣(いしん)を擯斥(ひんせき)し...
福沢諭吉 「瘠我慢の説」
...天主僧ガーピョンの一六八八至(より)一六九八年間康煕帝の勅を奉じ西韃靼(だったん)を巡回した紀行(アストレイ『新編紀行航記全集(ア・ニュウ・ゼネラル・コレクション・オヴ・ウオエージス・エンド・トラウェルス)』巻四...
南方熊楠 「十二支考」
...この風康煕(こうき)帝の世まで行われつ...
南方熊楠 「十二支考」
...『康煕字典』を見ると...
南方熊楠 「十二支考」
...父がどうして買って来たのか『康煕字典』をはじめて買ったので...
柳田国男 「故郷七十年」
...駒場の原煕(はらひろし)博士に逢って聞くと...
柳田國男 「野草雑記・野鳥雑記」
...次男の袁煕(えんき)は...
吉川英治 「三国志」
...袁譚(えんたん)、袁煕(えんき)、袁尚(えんしょう)などの若殿輩(わかとのばら)も、めいめい手痛い敗北を負って、続々、冀州へ逃げもどって来たので、本城の混乱はいうまでもない...
吉川英治 「三国志」
...袁煕は遠くへ逃げたという...
吉川英治 「三国志」
...「いま、袁煕(えんき)、袁尚(えんしょう)の兄弟は、遼西(りょうせい)の烏丸(うがん)(熱河(ねっか)地方)におるという...
吉川英治 「三国志」
...袁煕と、袁尚は、「さてはそろそろ出軍の相談かな? 何といっても曹操の脅威をうけている折だから、吾々の協力もなくてはかなうまい」などと談じ合いながら登城してきた...
吉川英治 「三国志」
...今に遼東から、袁煕、袁尚の首を送ってくるであろうから、それを待っているのだ」と、答えた...
吉川英治 「三国志」
...初め袁紹(えんしょう)の二男袁煕(えんき)の夫人となったがそれを攻め破ったときから...
吉川英治 「三国志」
...夫人の煕子(てるこ)は...
吉川英治 「新書太閤記」
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