...験(れいげん)の煕々(あきらか)たる事此一を以て知るべし...
京山人百樹刪定 「北越雪譜」
...文恬(ぶんてん)武煕(ぶき)...
徳富蘇峰 「吉田松陰」
...順治より康煕の初年に有名であるが...
内藤湖南 「藏書家の話」
...一例を申しますと徳川時代に於きまして近衞家煕と云ふ人は書の名人で...
内藤湖南 「日本國民の文化的素質」
...この風康煕(こうき)帝の世まで行われつ...
南方熊楠 「十二支考」
...『康煕字典』を見ると...
南方熊楠 「十二支考」
...※字音豹と『康煕字典』にあるのみ...
南方熊楠 「十二支考」
...御台所(みだいどころ)は近衛経煕(このえけいき)の養女茂姫(しげひめ)である...
森鴎外 「渋江抽斎」
...細(こまか)に検すれば南宋『乾道淳煕(けんどうじゅんき)』中の補刻数葉が交っているが...
森鴎外 「渋江抽斎」
...父がどうして買って来たのか『康煕字典』をはじめて買ったので...
柳田国男 「故郷七十年」
...袁煕(えんき)の二子も...
吉川英治 「三国志」
...袁譚(えんたん)、袁煕(えんき)、袁尚(えんしょう)などの若殿輩(わかとのばら)も、めいめい手痛い敗北を負って、続々、冀州へ逃げもどって来たので、本城の混乱はいうまでもない...
吉川英治 「三国志」
...次男の袁煕(えんき)の妻……」と...
吉川英治 「三国志」
...そして自身はなお幽州へ進攻して、袁煕(えんき)、袁尚(えんしょう)のふたりを誅伐(ちゅうばつ)すべく準備に怠りなかったが、その間にまず袁譚の首を、城の北門に梟(か)けて、「これを見て歎く者があれば、その三族を罰すであろう」と、郡県にあまねく布令(ふれ)た...
吉川英治 「三国志」
...「いま、袁煕(えんき)、袁尚(えんしょう)の兄弟は、遼西(りょうせい)の烏丸(うがん)(熱河(ねっか)地方)におるという...
吉川英治 「三国志」
...袁煕と、袁尚は、「さてはそろそろ出軍の相談かな? 何といっても曹操の脅威をうけている折だから、吾々の協力もなくてはかなうまい」などと談じ合いながら登城してきた...
吉川英治 「三国志」
...十余名の力者(りきしゃ)は一斉におどり出して、二人へ組みつき、左右から脾腹(ひばら)に短剣を加え、袁煕、袁尚ともども無造作に首にしてしまった...
吉川英治 「三国志」
...夫人の煕子(てるこ)は...
吉川英治 「新書太閤記」
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