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谷崎潤一郎 「細雪」
...引きしめようと努めながらもやはり煕々(きき)とした顔つきで劇場へやって来ると...
ロマン・ローラン Romain Rolland 豊島与志雄訳 「ジャン・クリストフ」
...一例を申しますと徳川時代に於きまして近衞家煕と云ふ人は書の名人で...
内藤湖南 「日本國民の文化的素質」
...それは清朝の康煕年間...
内藤湖南 「日本國民の文化的素質」
...康煕帝が董其昌の書を好んだのは...
内藤湖南 「北派の書論」
...煕々(きき)として照っていた春の陽(ひ)はいつか烈(はげ)しい夏の光に変り...
中島敦 「名人伝」
...南宋の淳煕三年金国へ往った大使の紀行『北轅録』にも〈趙州に至る...
南方熊楠 「十二支考」
...天主僧ガーピョンの一六八八至(より)一六九八年間康煕帝の勅を奉じ西韃靼(だったん)を巡回した紀行(アストレイ『新編紀行航記全集(ア・ニュウ・ゼネラル・コレクション・オヴ・ウオエージス・エンド・トラウェルス)』巻四...
南方熊楠 「十二支考」
...御台所(みだいどころ)は近衛経煕(このえけいき)の養女茂姫(しげひめ)である...
森鴎外 「渋江抽斎」
...駒場の原煕(はらひろし)博士に逢って聞くと...
柳田國男 「野草雑記・野鳥雑記」
...次男袁煕(えんき)もまた前後して...
吉川英治 「三国志」
...次男の袁煕(えんき)は...
吉川英治 「三国志」
...袁譚(えんたん)、袁煕(えんき)、袁尚(えんしょう)などの若殿輩(わかとのばら)も、めいめい手痛い敗北を負って、続々、冀州へ逃げもどって来たので、本城の混乱はいうまでもない...
吉川英治 「三国志」
...二男の袁煕(えんき)や甥の高幹(こうかん)も...
吉川英治 「三国志」
...次男の袁煕(えんき)の妻……」と...
吉川英治 「三国志」
...「いま、袁煕(えんき)、袁尚(えんしょう)の兄弟は、遼西(りょうせい)の烏丸(うがん)(熱河(ねっか)地方)におるという...
吉川英治 「三国志」
...袁煕と、袁尚は、「さてはそろそろ出軍の相談かな? 何といっても曹操の脅威をうけている折だから、吾々の協力もなくてはかなうまい」などと談じ合いながら登城してきた...
吉川英治 「三国志」
...子の劉煕(りゅうき)に死骸を与えて厚く故郷へ葬らせた...
吉川英治 「三国志」
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