...康煕(こうき)年間の動乱に当って...
伊波普猷 「琉球史の趨勢」
......
谷崎潤一郎 「細雪」
...文恬(ぶんてん)武煕(ぶき)...
徳富蘇峰 「吉田松陰」
...是が康煕、雍正、乾隆頃になつて、此の二つの傾が又益明かになつて來て居る...
内藤湖南 「北派の書論」
...康煕帝が董其昌の書を好んだのは...
内藤湖南 「北派の書論」
...南宋の淳煕三年金国へ往った大使の紀行『北轅録』にも〈趙州に至る...
南方熊楠 「十二支考」
...『康煕字典』を見ると...
南方熊楠 「十二支考」
......
南方熊楠 「蓮の花開く音を聽く事」
...御台所(みだいどころ)は近衛経煕(このえけいき)の養女茂姫(しげひめ)である...
森鴎外 「渋江抽斎」
...細(こまか)に検すれば南宋『乾道淳煕(けんどうじゅんき)』中の補刻数葉が交っているが...
森鴎外 「渋江抽斎」
...次男の袁煕(えんき)は...
吉川英治 「三国志」
...袁譚も……袁煕もおるか...
吉川英治 「三国志」
...袁譚(えんたん)、袁煕(えんき)、袁尚(えんしょう)などの若殿輩(わかとのばら)も、めいめい手痛い敗北を負って、続々、冀州へ逃げもどって来たので、本城の混乱はいうまでもない...
吉川英治 「三国志」
...ここに二男袁煕(えんき)がいたので...
吉川英治 「三国志」
...そして自身はなお幽州へ進攻して、袁煕(えんき)、袁尚(えんしょう)のふたりを誅伐(ちゅうばつ)すべく準備に怠りなかったが、その間にまず袁譚の首を、城の北門に梟(か)けて、「これを見て歎く者があれば、その三族を罰すであろう」と、郡県にあまねく布令(ふれ)た...
吉川英治 「三国志」
...袁煕(えんき)と袁尚(えんしょう)は...
吉川英治 「三国志」
...袁煕、袁尚の二名は、その後、遼東へ奔って、太守公孫康(こうそんこう)の勢力をたのみ、またまた、禍いの兆(きざ)しが見えたからである...
吉川英治 「三国志」
...袁煕と、袁尚は、「さてはそろそろ出軍の相談かな? 何といっても曹操の脅威をうけている折だから、吾々の協力もなくてはかなうまい」などと談じ合いながら登城してきた...
吉川英治 「三国志」
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