...彼は無知無学で、社会常識が全くない...
...試験前に全く勉強しなくて無知無学のまま試験に臨んだ...
...無知無学な私にも分かるほどの簡単な問題だった...
...無知無学だと周りに迷惑をかけることが多い...
...将来を見据えた上で、無知無学なままではいられないと思った...
...無学者といえども老人小児といえども...
内村鑑三 「ヨブ記講演」
...洒脱な交際ぶりと諧謔交(おどけまじ)りの口上手と無学者ばかりの美術界に幾らか本を読んでゐる...
薄田泣菫 「茶話」
...第一無学無趣味でね……まあ一口に言ふと愚者の群(むれ)やな...
薄田泣菫 「茶話」
...渡宋の御計画を仰出されたのも、このとしの事でございまして、この御計画も将軍家にとつては別に深い意味も無く、たまたまその頃、宋人の陳和卿が鎌倉へまゐつて居りまして、陳和卿は造船も巧みとお聞及びになつて、ふいと渡宋を思ひ立つた御様子で、私ども貧しい身上の者にとつてこそ大船を作り宋に渡るといふのは、とても企て及ばぬ事でございますが、いやしくも関東の大長者とも言はれる御身分のお方にとつては、別段、不自然の御計画ではなく、おとしのお若いうちに変つた土地を御覧になつて来るのも、なかなか有益の事とも思はれますし、かねがね将軍家の御傾倒申上げてゐる、あの厩戸の皇子さまなどは、その六百年も前にもう、隋と御交通なさつて居られた程でございまして、また鎌倉の寿福寺の僧正さまだつて二度も宋へ行つて来られたお方ですし、無学の田舎者が、ただ遠い遠い唐天竺を夢見てゐるのとは違つて、将軍家のやうに広く御学問なさつて居られると、渡宋もさしたる難事でないと御明察なされ、お気軽に御計画なされたのではなからうかと、私などには思はれましたが、これがまた、幕府の御視界の狭いお方たちには、ほとんど気違ひ沙汰と思はれたらしく、実に烈しい反対がございまして、或る者は、将軍家が北条家の圧迫に堪へかねて鎌倉からのがれて、さうしてあてもなく海上をさまよひ歩き果ては自殺でもなさる気であらうと言ひ、或る者は、宋に渡ると見せて実は京都へ行き上皇さまの御軍勢をこの大船にお乗せ申して北条家討伐のために再び鎌倉へひきかへして来るおつもりに違ひ無いと言ふし、また或る者は、こんな事をして幕府にむだなお金を使はせ幕府も将軍家も北条家も何もかもみんな一緒に倒れるやうに仕組んで、以て上皇さまへの最後の忠誠の置土産になさらうといふ深いお考へがあるのかも知れないと言ひ、また或る者は、なあに、すねてゐるのさ、渡宋なんて、でたらめだよと言ひ、また、いやいや、そのやうにただ悪くばかり推量するものではない、これはやはり、かねてあこがれの宋の医王山に御参詣なさるための渡宋で、その他には何の御異図もないのだ、まことに将軍家の御信仰の篤いこと、恐れいるばかりだ、などと妙な感懐をもらす者もありまして、その評定のうるさかつたこと、まるで、近日また鎌倉に大合戦でも起るやうな騒ぎ方でございました...
太宰治 「右大臣実朝」
...「それは貴殿の無学のせいだ...
太宰治 「新釈諸国噺」
...まだ無学だから」タツは自分でもツマランと思いながら...
徳永直 「工場新聞」
...無学なことをよく知っている...
中島敦 「悟浄歎異」
...まるで無学な事を云っているので...
夏目漱石 「満韓ところどころ」
...無学な鉱夫あがりの成金(なりきん)だなぞということから...
長谷川時雨 「柳原※[#「火+華」、第3水準1-87-62]子(白蓮)」
...私は無学でよくわからんが...
前田多門 「「人間宣言」のうちそと」
...無学笑ふに堪へたり...
正岡子規 「俳諧大要」
...蕪村以後の俳人の尽(ことごと)く無学無識なるとに因(よ)れり...
正岡子規 「俳人蕪村」
...無学にして怯懦なること私のごときでさえも...
三好十郎 「恐怖の季節」
...(c)無学は我らの不幸に対してききめ甚だ少なき薬にすぎず(セネカ)...
ミシェル・エーケム・ド・モンテーニュ Michel Eyquem de Montaigne 関根秀雄訳 「モンテーニュ随想録」
...誰か無学たるそのことを讃美(さんび)することができよう...
柳宗悦 「工藝の道」
...だが彼らの無学は...
柳宗悦 「民藝四十年」
...百姓町人は虫けら同然と云ったろうが」「しかもわれわれを無知無学...
山本周五郎 「半之助祝言」
...私どもは無学で御座いますから...
夢野久作 「超人鬚野博士」
便利!手書き漢字入力検索