...わたくしはこの湫路(しゅうろ)の傍(かたわら)に芭蕉庵の址(あと)は神社となって保存せられ...
永井荷風 「深川の散歩」
...この坂と坂とのあひだに通ずる湫路(しうろ)には馬車はおろか...
永井荷風 「冬の夜がたり」
...大都の康荘(こうそう)は年々面目を新にするに反して窮巷屋後(きゅうこうおくご)の湫路(しゅうろ)は幾星霜を経るも依然として旧観を革(あらた)めず...
永井荷風 「礫川※[#「彳+淌のつくり」、第3水準1-84-33]※[#「彳+羊」、第3水準1-84-32]記」
...あたかも陋巷の湫路今なほ車井戸と総後架(そうごうか)とを保存せるが如く...
永井荷風 「礫川※[#「彳+淌のつくり」、第3水準1-84-33]※[#「彳+羊」、第3水準1-84-32]記」
...嵐もよいの湫々(しゅうしゅう)とした潮風が強く吹いていて...
林芙美子 「新版 放浪記」
...豊洲は南宮大湫(なんぐうたいしう)の門人である...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...二十一歳にして師大湫の喪に遭つて...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...号は大湫(たいしう)となつた...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...甚三郎は偶(たま/\)大湫と生年を同じうしてゐて...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...大湫は未だ居を卜せざる時...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...大湫の家塾である...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...伊勢国桑名で南宮大湫(なんぐうたいしう)に従学した...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...時に大湫の歿後十八年で...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...三里半大湫(おほくて)駅...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...それからまだ中央部にはクテという語があって湫という字をあて...
柳田國男 「地名の研究」
...長久手(ながくて)という地名が実は短い湫(くて)...
柳田國男 「地名の研究」
...誰にもすぐ心付くのは湫の漢字を宛てたクテまたはグデである...
柳田國男 「地名の研究」
...「それがし龍湫(りゅうしゅう)の渡口(わたし)を警備しておりますと...
吉川英治 「三国志」
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