...昔は女性の極位にて御座(ましま)しゝに大清康熙六丁未年王妃に次ぐ御位に改め玉ふなり」ということがあります...
伊波普猷 「ユタの歴史的研究」
...昔は女性の極位にて御座しゝに大清康熙六年丁未王妃に次ぐ御位に改め玉ふなり...
伊波普猷 「ユタの歴史的研究」
...家康の祖父清康が岡崎にゐた頃戦(いくさ)があつた...
薄田泣菫 「茶話」
...清康はそれをじつと見て...
薄田泣菫 「茶話」
...清康は記念に葵の葉を紋所に使ふやうになつたといふのだ...
薄田泣菫 「茶話」
...それを清康が見て...
薄田泣菫 「茶話」
...清康はそんな物は無益(やくざ)だといつて摘み切つてしまつた...
薄田泣菫 「茶話」
...大永四年に家康の祖父岡崎次郎三郎清康が...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...三河では、松平清康(まつだいらきよやす)が、今川家へ降って、その与国(よこく)に甘んじてしまって以来、不幸つづきで、清康の死後、子の広忠(ひろただ)も早逝し、嗣子(しし)の竹千代は、人質(ひとじち)として今、駿府に養われている有様だった...
吉川英治 「新書太閤記」
便利!手書き漢字入力検索