...郷里が清州だと、誇らしげに言い言いしてはいたが、そこへおちついたためしはない...
李孝石 「蕎麦の花の頃」
...その後清州に至って呉同知方(かた)に留まる...
南方熊楠 「十二支考」
...また山川の神をことごとく日本に送り倭賊を擒(とりこ)にすべしなど宣言したので、愚民ども城隍(じょうこう)祠廟(しびょう)の神を撤(す)て去り、伊金を仏ごとく敬い福利を祈る、無頼の徒その弟子と称し相(あい)誑(たぶら)かし、至る所の州郡守令出迎えて上舎に館する者あり、清州の牧使権和、その渠首(きょしゅ)五人を捕斬しようやく鎮(しず)まったという(『東国通鑑(つがん)』五一)、当時高麗人日本を畏るるに乗じ、弥勒仏と詐称した偽救世主が出た...
南方熊楠 「十二支考」
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