...浦添を曲る山の根に突出た巖膚に響いて...
泉鏡花 「遺稿」
...浦添(うらぞえ)を曲る山の根に突出(つきで)た巌膚(いわはだ)に響いて...
泉鏡花 「遺稿」
...二人で琉球語の金石文を読みに浦添(うらそえ)の古城址を訪ずれたが...
伊波普猷 「土塊石片録」
...アア浦添城址の瓦は口なくして能(よ)く七百年前の歴史を語った...
伊波普猷 「土塊石片録」
...きやのうぬきまる(俗にチャヌチといってその墓も浦添辺にある)その高弟であります...
伊波普猷 「ユタの歴史的研究」
...島尻八間切浦添中城北谷越来美里勝連具志川読谷山八間切百姓の疲不可勝計候...
伊波普猷 「ユタの歴史的研究」
...そこで尚温の叔父の浦添(うらそい)王子尚図が王の即位の翌年摂政(せっせい)となるや否や...
伊波普猷 「ユタの歴史的研究」
...摂政与那城(よなぐすく)王子が浦添王子を学んでユタ征伐をされたことがあります...
伊波普猷 「ユタの歴史的研究」
...五 浦添の古城址次の日は朝から首里の浦添の見物に出かける...
濱田耕作 「沖繩の旅」
...一路浦添の道へと急ぐ...
濱田耕作 「沖繩の旅」
...其の後ろの山にある浦添の城址に出る...
濱田耕作 「沖繩の旅」
...浦添(うらそへ)とは元來「浦々を支配する」の意味であつて...
濱田耕作 「沖繩の旅」
...六 「ようどれ」の王陵崖の上は先刻私達の立つてゐた浦添の城址である...
濱田耕作 「沖繩の旅」
...私は此の浦添の王陵の淋しい氣分がとても氣に入つた...
濱田耕作 「沖繩の旅」
...七 首里の玉陵浦添(うらそへ)から首里に引きかへして...
濱田耕作 「沖繩の旅」
...首里城の正殿百浦添(むんだすい)の大厦の忽然として聳えてゐるのを仰ぐと...
濱田耕作 「沖繩の旅」
...しかし浦添(うらそえ)の城址(じょうし)から見出される瓦等にも高麗(こうらい)の工匠が作ったということが記してあるから...
柳宗悦 「現在の日本民窯」
...すなわち浦添(うらそえ)文化とでも言うべきものとの間には...
柳田国男 「海上の道」
便利!手書き漢字入力検索
この漢字は何でしょう??