...もと天皇の皇子が「法親王」と呼ばれる...
...明治憲法で、皇族には「親王」または「王」をつけた称号が与えられ、普通の親王より特別な地位にある人を「法親王」と呼ばれた...
...「法親王」は、仏教用語でもあり、皇族に限らず、法脈を伝える上陸に師から受けた戒名とともに称号として与えられることがある...
...「法親王」を尊称として称することがある...
...日本史上、源氏や平家の一族が「法親王」または「王」を称した...
...而して十一月十八日仁和寺法親王...
芥川龍之介 「木曾義仲論(東京府立第三中学校学友会誌)」
...法親王は宜(よろ)しく正議大諸侯に託すべし」...
徳富蘇峰 「吉田松陰」
...花園院と御兄弟で入らせられる尊圓法親王が書に關する入木抄といふ著述をして當時の書風の批評をして居りますが...
内藤湖南 「日本文化の獨立」
...所が其尊圓法親王其人の書風がどうかといふと...
内藤湖南 「日本文化の獨立」
...尊圓法親王のは別派で全く新しい書風を書かれた...
内藤湖南 「日本文化の獨立」
...尊圓法親王の書風は世尊寺の流派の元祖である行成卿の書風を飛び越えて道風の書風を目的として居つたやうであります...
内藤湖南 「日本文化の獨立」
...その尊圓法親王は南朝の書風を幾らか攻撃してゐるやうであるが...
内藤湖南 「日本文化の獨立」
...人口に普(あまね)くなった上右の慶雅法橋が御室(鳥羽院第五の皇子覚性法親王(かくしょうほうしんのう))の御前で...
中里介山 「法然行伝」
...法親王が白河へお落ちになってから建白書のようなものを書いて死んだ人であり...
長谷川時雨 「木魚の顔」
...上野の法親王にはお咎(とが)めのないようにと建白書のようなものを書いたのだときいていたが...
長谷川時雨 「木魚の配偶」
...後十年天保十三年に小島宝素は日光准后宮舜仁法親王に扈随して京都に往つたのである...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...法親王(尊澄(たかずみ))など...
吉川英治 「私本太平記」
...尊雲法親王(そんうんほっしんのう)(大塔(だいとう)ノ宮(みや))と...
吉川英治 「私本太平記」
...座主を御弟の尊澄(そんちょう)法親王に譲られた後も...
吉川英治 「私本太平記」
...ただ「法親王ノ宮へお直々に」とのみいって風の如く立ち去ったのも...
吉川英治 「私本太平記」
...尊澄法親王(そんちょうほうしんのう)である...
吉川英治 「私本太平記」
...あの法親王なのである...
吉川英治 「私本太平記」
...覚快法親王(かくかいほうしんのう)より三昧(さんまい)の奥儀(おうぎ)をうけて...
吉川英治 「親鸞」
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