...傘張法橋の豚犬児が...
芥川龍之介 「木曾義仲論(東京府立第三中学校学友会誌)」
...法橋探水齋と云ふ落款がある畫で...
岩野泡鳴 「泡鳴五部作」
...法橋のような僧綱(そうごう)を持していた...
高村光太郎 「本邦肖像彫刻技法の推移」
...真智房法橋隆宣導師たり...
太宰治 「右大臣実朝」
...又仁和寺(にんなじ)に華厳宗(けごんしゅう)の名宗で大納言法橋慶雅(ほっきょうけいが)という僧があった...
中里介山 「法然行伝」
...醍醐にも通っていたのか醍醐の法橋ともいわれていた...
中里介山 「法然行伝」
...法橋がそれを聴いて...
中里介山 「法然行伝」
...人口に普(あまね)くなった上右の慶雅法橋が御室(鳥羽院第五の皇子覚性法親王(かくしょうほうしんのう))の御前で...
中里介山 「法然行伝」
...当時の連歌の大宗匠法橋紹巴も時々公を訪れた...
中谷宇吉郎 「露伴先生と神仙道」
...経師では良椿法橋(ほっきょう)というのが...
原勝郎 「東山時代における一縉紳の生活」
...「上卿日野中納言、万延二年二月三日宣旨、磐安、宜叙法橋、奉蔵人右中辨兼左衛門権佐藤原豊房...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...」「上卿日野中納言、万延二年二月三日宣旨、法橋磐安、宜叙法眼、奉蔵人右中辨兼左衛門権佐藤原豊房...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...」按ずるに初叙(しよじよ)の法眼は例が無いので、先づ法橋に叙し、同日に又法眼に叙せられたのであらう...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...皆「法橋何某」と銘打った結構な山車が数十本...
山本笑月 「明治世相百話」
...別当定遍(じょうへん)どのの代表と称せられる法橋殿(ほっきょうどの)にお目にかかり...
吉川英治 「私本太平記」
...われらがお会いした切目ノ法橋(ほっきょう)どのは...
吉川英治 「私本太平記」
...「されば――」と、助家はうけて「万が一、別当どのが怯(ひる)んで、朝廷方へお味方せぬばあいには、一味同心だけをすぐって、一船陣を作り、尊氏が兵庫へせまる日、かならずこなたは紀伊水道から摂津(せっつ)ノ沖へ出て、御加勢に加わりましょうと、その法橋どのは、かたく申しておりまいてござりまする...
吉川英治 「私本太平記」
...そんな厭世家だったかなあ」「仁和寺の法橋(ほっきょう)や...
吉川英治 「親鸞」
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