...朝四時頃から揃つては鞍馬や宇治田原あたりに行つた事がある...
上村松園 「写生帖の思ひ出」
...宇治田原あたりの田舎家や渓流など丹念に写されて居り...
上村松園 「写生帖の思ひ出」
...小治田(をはりだ)の御世七に訖(を)ふ...
稗田の阿礼、太の安万侶 「古事記」
...小治田の大宮より前を下つ卷とし...
稗田の阿礼、太の安万侶 「古事記」
...次に蘇賀(そが)の石河(いしかは)の宿禰(すくね)は、蘇我の臣、川邊の臣、田中の臣、高向の臣、小治田の臣、櫻井の臣、岸田の臣等が祖なり...
稗田の阿礼、太の安万侶 「古事記」
...小治田(をはりだ)一五に來到(きた)りて...
稗田の阿礼、太の安万侶 「古事記」
...次に小治田(をはりだ)の王...
稗田の阿礼、太の安万侶 「古事記」
...小治田(をはりだ)の宮二にましまして...
稗田の阿礼、太の安万侶 「古事記」
...ソガノイシカハの宿禰は蘇我の臣・川邊の臣・田中の臣・高向(たかむく)の臣・小治田(おはりだ)の臣・櫻井の臣・岸田の臣等の祖先です...
稗田の阿禮、太の安萬侶 武田祐吉訳 「古事記」
...引きつれて小治田(おはりだ)に來て穴を掘つて立つたままに埋めましたから...
稗田の阿禮、太の安萬侶 武田祐吉訳 「古事記」
...大和の小治田の宮においでになつて...
稗田の阿禮、太の安萬侶 武田祐吉訳 「古事記」
...小治田(おはりだ)という村まで引っぱっていらっしゃいました...
鈴木三重吉 「古事記物語」
......
武田祐吉 「古事記」
...デナケレバ綴喜郡宇治田原村禅定寺ノ五輪塔...
谷崎潤一郎 「瘋癲老人日記」
...網代は宇治田上(うじたがみ)に限りたる者なれば特色なきに非ずと...
正岡子規 「人々に答ふ」
...また八田の方は字明田、字治田、字八田、字年田、字天田、字地田、字人田で「明治八年天地人」などを分けたので、地租改正の際の改称であることがよくわかる...
柳田國男 「地名の研究」
...古くは『倭名鈔』郷名の治田(はるた)・新屋(にいや)の類から...
柳田國男 「地名の研究」
...山城綴喜(つづき)郡宇治田原村大字岩山字山下は明治七年まで独立した一村であった(郡誌)...
柳田國男 「地名の研究」
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