...平氏政権は、源氏との合戦(治承・寿永の戦い)により滅ぼされた...
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饗庭篁村 「木曾道中記」
...治承四年、長田入道が、惶懼、書を平忠清に飛ばして、東国将に事あらむとするを告げたるが如き、革命の曙光が、既に紅を東天に潮したるを表すものにあらずや...
芥川龍之介 「木曾義仲論(東京府立第三中学校学友会誌)」
...治承(じしょう)元年七月の始じゃ...
芥川龍之介 「俊寛」
...治承(じしょう)四年の十月には...
中里介山 「大菩薩峠」
...『太陽』二六ノ一三)2ラーマーヤナの譚をわが国で最も早く載せたは『宝物集(ほうぶつしゅう)』で治承の頃平康頼が筆すという...
南方熊楠 「十二支考」
...治承姦相修斯宇...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...治承(じしょう)の大戦のさいでも...
吉川英治 「私本太平記」
...すぐ治承(じしょう)のむかし――もう二十幾年か前になったころの悲痛な社会事件を...
吉川英治 「親鸞」
...治承(じしょう)...
吉川英治 「親鸞」
...平家物語の治承・寿永の世には...
吉川英治 「随筆 私本太平記」
...(二七・五・四)春行くやまごつく旅の五六日*治承元年あたりは...
吉川英治 「随筆 新平家」
...それの口火を切る王の“令旨(りょうじ)”を持った新宮十郎行家が、諸国の源氏を説きに駈けまわるだんになると、爆発的な源平争覇の戦乱期に入るのであるが、治承三年中は、まだ革命前夜の様相をもちつづけ、その前に書かねばならないことが多い...
吉川英治 「随筆 新平家」
...(二七・一〇・五)秋闌(た)けてのこる浅間と画家一人*治承四年という年は...
吉川英治 「随筆 新平家」
...一応、義仲を措(お)いて、この回からは、治承五年の正月、高倉上皇がお亡くなりになった直後の都へ、筆をかえしてゆく...
吉川英治 「随筆 新平家」
...あの時代のままな四囲の山と水と、そしてこの建築との中にいれば、治承、寿永の世の一と隅(すみ)を感じとるには充分である...
吉川英治 「随筆 新平家」
...治承四年の兵火と...
吉川英治 「随筆 新平家」
...きのうは、治承の年号が、養和と改元された日であった...
吉川英治 「源頼朝」
...遠くは、治承の昔、源頼朝が、伊豆から渡って、関東の兵をあつめたのもこの河原...
吉川英治 「宮本武蔵」
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