...平氏政権は、源氏との合戦(治承・寿永の戦い)により滅ぼされた...
...治承三年八月三日を以て...
芥川龍之介 「木曾義仲論(東京府立第三中学校学友会誌)」
...彼が治承四年六月三日...
芥川龍之介 「木曾義仲論(東京府立第三中学校学友会誌)」
...平氏は、福原の遷都を、掉尾の飛躍として、治承より養和に、養和より寿永に、寿永より元暦に、天暦より文治に、円石を万仞の峰頭より転ずるが如く、刻々亡滅の深淵に向つて走りたりき...
芥川龍之介 「木曾義仲論(東京府立第三中学校学友会誌)」
...第十四治承三年五月...
高山樗牛 「瀧口入道」
...治承五年の春を迎ふれば...
高山樗牛 「瀧口入道」
...治承(ちしょう)の昔文覚上人(もんがくしょうにん)が何処の馬の骨だか分らないされこうべを「義朝(よしとも)の髑髏(どくろ)」と称して右兵衛佐頼朝(うひょうえのすけよりとも)に示した故智に倣(なら)い...
谷崎潤一郎 「武州公秘話」
...治承の乱に南都東大寺が焼失した...
中里介山 「法然行伝」
...朝廷では、万一このたびの東征にやぶれでもしたら、建武新政の緒(しょ)も根本からくつがえるものと、さまざま古例の吉凶なども案じて、治承四年、頼朝追罰(ついばつ)のさいに、三位惟盛(これもり)をつかわされたさいの仕(し)きたりは不吉であった、よろしくこんどは天慶(てんぎょう)承平の例に倣(なら)うべきであるというところから、特に、義貞へは節刀(せっとう)を賜わり、やがて、三(み)たびの万歳の唱(とな)えのうちに、華々(はなばな)と、彼のすがたは大内を退出してきた...
吉川英治 「私本太平記」
...治承(じしょう)...
吉川英治 「親鸞」
...その源氏が、隆々と興って、治承、寿永の世にわたって、平家を剿滅(そうめつ)して行ったころには、源平両軍が戟(ほこ)を交(まじ)えるところに、佐々木三郎盛綱(もりつな)の名が功名帳に輝かないところはなかった...
吉川英治 「親鸞」
...治承元年の正月へ...
吉川英治 「随筆 新平家」
...平家を中心とする同じ“治承元年”というころの都の世態は...
吉川英治 「随筆 新平家」
...(二七・五・四)春行くやまごつく旅の五六日*治承元年あたりは...
吉川英治 「随筆 新平家」
...義仲のなした治承...
吉川英治 「随筆 新平家」
...あの時代のままな四囲の山と水と、そしてこの建築との中にいれば、治承、寿永の世の一と隅(すみ)を感じとるには充分である...
吉川英治 「随筆 新平家」
...治承四年の兵火と...
吉川英治 「随筆 新平家」
...恋の旗一治承(じしょう)二年になった...
吉川英治 「源頼朝」
...きのうは、治承の年号が、養和と改元された日であった...
吉川英治 「源頼朝」
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