...平氏政権は、源氏との合戦(治承・寿永の戦い)により滅ぼされた...
...治承元年山門の争乱に乗じ...
芥川龍之介 「木曾義仲論(東京府立第三中学校学友会誌)」
...加ふるに嫡孫維盛の恥づべき敗軍(治承四年十月)は...
芥川龍之介 「木曾義仲論(東京府立第三中学校学友会誌)」
...治承(じしょう)三年五月の末...
芥川龍之介 「俊寛」
...思ひ出せば治承の春...
高山樗牛 「瀧口入道」
...和田家の治承以来の数々の勲功をみづから列挙なされて...
太宰治 「右大臣実朝」
...治承(じしょう)四年の十月には...
中里介山 「大菩薩峠」
...治承四年八月に頼朝石橋山の合戦の時...
中里介山 「法然行伝」
...治承の乱に南都東大寺が焼失した...
中里介山 「法然行伝」
...第一部 治承四年より承元前後まで此部は諸家の記録及故老の物語を參照して日記體に編述せし者なるべく吾妻鏡中趣味尤津々たれども從ひて潤飾の跡多く北條氏の爲に曲筆をなせし個所少からず第二部 建暦前後より延應の前後まで此部は追記の個處も曲筆も第一部よりは少し...
原勝郎 「吾妻鏡の性質及其史料としての價値」
...治承(じしょう)の大戦のさいでも...
吉川英治 「私本太平記」
...朝廷では、万一このたびの東征にやぶれでもしたら、建武新政の緒(しょ)も根本からくつがえるものと、さまざま古例の吉凶なども案じて、治承四年、頼朝追罰(ついばつ)のさいに、三位惟盛(これもり)をつかわされたさいの仕(し)きたりは不吉であった、よろしくこんどは天慶(てんぎょう)承平の例に倣(なら)うべきであるというところから、特に、義貞へは節刀(せっとう)を賜わり、やがて、三(み)たびの万歳の唱(とな)えのうちに、華々(はなばな)と、彼のすがたは大内を退出してきた...
吉川英治 「私本太平記」
...治承(じしょう)四年だ」「貴公たちは...
吉川英治 「親鸞」
...すぐ治承(じしょう)のむかし――もう二十幾年か前になったころの悲痛な社会事件を...
吉川英治 「親鸞」
...平家物語の治承・寿永の世には...
吉川英治 「随筆 私本太平記」
...(二七・一〇・五)秋闌(た)けてのこる浅間と画家一人*治承四年という年は...
吉川英治 「随筆 新平家」
...水鳥でなく治承四年から養和へかけての飢饉である」と科学的な気象統計を玉葉から引いて傍証としている...
吉川英治 「随筆 新平家」
...紅白二つに分けて住んだ治承...
吉川英治 「随筆 新平家」
...遠くは、治承の昔、源頼朝が、伊豆から渡って、関東の兵をあつめたのもこの河原...
吉川英治 「宮本武蔵」
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