...平氏政権は、源氏との合戦(治承・寿永の戦い)により滅ぼされた...
...而して治承四年五月...
芥川龍之介 「木曾義仲論(東京府立第三中学校学友会誌)」
...治承四年九月五日...
芥川龍之介 「木曾義仲論(東京府立第三中学校学友会誌)」
...治承五年の春を迎ふれば...
高山樗牛 「瀧口入道」
...その後寛治五年にも永長元年にも治承元年にもあって...
田中貢太郎 「日本天変地異記」
...治承(ちしょう)の昔文覚上人(もんがくしょうにん)が何処の馬の骨だか分らないされこうべを「義朝(よしとも)の髑髏(どくろ)」と称して右兵衛佐頼朝(うひょうえのすけよりとも)に示した故智に倣(なら)い...
谷崎潤一郎 「武州公秘話」
...治承四年八月に頼朝石橋山の合戦の時...
中里介山 「法然行伝」
...既に前にもほととぎす治承寿永の歌を出したが...
平野萬里 「晶子鑑賞」
...朝廷では、万一このたびの東征にやぶれでもしたら、建武新政の緒(しょ)も根本からくつがえるものと、さまざま古例の吉凶なども案じて、治承四年、頼朝追罰(ついばつ)のさいに、三位惟盛(これもり)をつかわされたさいの仕(し)きたりは不吉であった、よろしくこんどは天慶(てんぎょう)承平の例に倣(なら)うべきであるというところから、特に、義貞へは節刀(せっとう)を賜わり、やがて、三(み)たびの万歳の唱(とな)えのうちに、華々(はなばな)と、彼のすがたは大内を退出してきた...
吉川英治 「私本太平記」
...「――治承(じしょう)四年」とつぶやいた...
吉川英治 「親鸞」
...その源氏が、隆々と興って、治承、寿永の世にわたって、平家を剿滅(そうめつ)して行ったころには、源平両軍が戟(ほこ)を交(まじ)えるところに、佐々木三郎盛綱(もりつな)の名が功名帳に輝かないところはなかった...
吉川英治 「親鸞」
...それから得度剃髪(ていはつ)九歳までの間に、年号は安元、治承、養和と変わっておりまして、この間に木曾義仲の乱入、やがて平家都落ち、壇の浦、平家一族の没落というような歴史的な事件があります...
吉川英治 「親鸞聖人について」
...(二七・五・四)春行くやまごつく旅の五六日*治承元年あたりは...
吉川英治 「随筆 新平家」
...(二七・一〇・五)秋闌(た)けてのこる浅間と画家一人*治承四年という年は...
吉川英治 「随筆 新平家」
...一応、義仲を措(お)いて、この回からは、治承五年の正月、高倉上皇がお亡くなりになった直後の都へ、筆をかえしてゆく...
吉川英治 「随筆 新平家」
...治承の飢饉が平家を弱めたことはひと通りでない...
吉川英治 「随筆 新平家」
...ほととぎす治承寿永のおん国母三十にして経読ます寺花曇りの今にも降り出しそうな昼...
吉川英治 「随筆 新平家」
...きのうは、治承の年号が、養和と改元された日であった...
吉川英治 「源頼朝」
...遠くは、治承の昔、源頼朝が、伊豆から渡って、関東の兵をあつめたのもこの河原...
吉川英治 「宮本武蔵」
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