...平氏政権は、源氏との合戦(治承・寿永の戦い)により滅ぼされた...
...治承四年、長田入道が、惶懼、書を平忠清に飛ばして、東国将に事あらむとするを告げたるが如き、革命の曙光が、既に紅を東天に潮したるを表すものにあらずや...
芥川龍之介 「木曾義仲論(東京府立第三中学校学友会誌)」
...而して治承四年五月...
芥川龍之介 「木曾義仲論(東京府立第三中学校学友会誌)」
...加ふるに嫡孫維盛の恥づべき敗軍(治承四年十月)は...
芥川龍之介 「木曾義仲論(東京府立第三中学校学友会誌)」
...○治承四年十月二十三日 入道相国福原の新都を去り...
芥川龍之介 「木曾義仲論(東京府立第三中学校学友会誌)」
...平氏は、福原の遷都を、掉尾の飛躍として、治承より養和に、養和より寿永に、寿永より元暦に、天暦より文治に、円石を万仞の峰頭より転ずるが如く、刻々亡滅の深淵に向つて走りたりき...
芥川龍之介 「木曾義仲論(東京府立第三中学校学友会誌)」
...治承四年九月五日...
芥川龍之介 「木曾義仲論(東京府立第三中学校学友会誌)」
...治承(じしょう)元年七月の始じゃ...
芥川龍之介 「俊寛」
...治承(ちしょう)の昔文覚上人(もんがくしょうにん)が何処の馬の骨だか分らないされこうべを「義朝(よしとも)の髑髏(どくろ)」と称して右兵衛佐頼朝(うひょうえのすけよりとも)に示した故智に倣(なら)い...
谷崎潤一郎 「武州公秘話」
...治承の乱に南都東大寺が焼失した...
中里介山 「法然行伝」
...此年は吾妻鏡が筆を起せる治承四年より算すれば四十七年目にして...
原勝郎 「吾妻鏡の性質及其史料としての價値」
...「治承の世にも、木曾殿(義仲)がそうでしたろ...
吉川英治 「私本太平記」
...「――治承(じしょう)四年」とつぶやいた...
吉川英治 「親鸞」
...治承(じしょう)...
吉川英治 「親鸞」
...平家物語の治承・寿永の世には...
吉川英治 「随筆 私本太平記」
...平家を中心とする同じ“治承元年”というころの都の世態は...
吉川英治 「随筆 新平家」
...(二七・五・四)春行くやまごつく旅の五六日*治承元年あたりは...
吉川英治 「随筆 新平家」
...治承四年の兵火と...
吉川英治 「随筆 新平家」
...きのうは、治承の年号が、養和と改元された日であった...
吉川英治 「源頼朝」
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