...江陵あたりへ仕入れに出掛ける外は...
李孝石 「蕎麦の花の頃」
...「蘇子、愀然(しゆうぜん)トシテ襟ヲ正シ、危坐シテ客ニ問テ曰(いは)ク、何スレゾ其レ然(しか)ルヤ、客ノ曰ク、月明ラカニ星稀ニ、烏鵲(うじやく)南ニ飛ブハ此レ曹孟徳ガ詩ニアラズヤ、西ノカタ夏口ヲ望ミ、東ノカタ武昌ヲ望メバ、山川(さんせん)相繆(あひまと)ヒ、鬱乎(うつこ)トシテ蒼々(そうそう)タリ、此レ孟徳ガ周郎ニ困(くるし)メラレシトコロニアラズヤ……」「まだかい」仏頂寺弥助が渋面をつくると、丸山勇仙は、前と同じように首を横に振り、「其ノ荊州(けいしゆう)ヲ破リ、江陵ヲ下リ、流レニ順(したが)ツテ東スルヤ、舳艫(じくろ)千里、旌旗(せいき)空ヲ蔽(おほ)フ、酒ヲソソイデ江ニ臨(のぞ)ミ、槊(ほこ)ヲ横タヘテ詩ヲ賦ス、マコトニ一世ノ雄ナリ、而シテ今安(いづ)クニカ在ル哉、況(いは)ンヤ吾ト子(なんぢ)ト江渚(こうしよ)ノホトリニ漁樵(ぎよしよう)シ、魚鰕(ぎよか)ヲ侶(つれ)トシ、麋鹿(びろく)ヲ友トシ、一葉ノ扁舟(へんしゆう)ニ駕シ、匏樽(ほうそん)ヲ挙ゲテ以テ相属(あひしよく)ス、蜉蝣(ふゆう)ヲ天地ニ寄ス、眇(びよう)タル滄海(そうかい)ノ一粟(いちぞく)、吾ガ生ノ須臾(しゆゆ)ナルヲ哀(かなし)ミ、長江ノ窮リ無キヲ羨ミ……」そこで、丸山勇仙が、一種の反抗的昂奮を催してきました...
中里介山 「大菩薩峠」
...元来十年一日のごとしと云うのは賞(ほ)める時の言葉なんだがな」「千里の江陵(こうりょう)一日に還るなんと云う句もあるじゃないか」「一百里程塁壁の間さ」「そりゃ西郷隆盛だ」「そうか...
夏目漱石 「虞美人草」
...陸杭時に江陵の都督たり...
南方熊楠 「十二支考」
...荊州(湖北省・江陵・揚子江流域)には一方の雄たる劉表(りゅうひょう)がなお健在である...
吉川英治 「三国志」
...江陵へ?」「江陵の城は...
吉川英治 「三国志」
...一刻もはやく江陵へ行き着いて...
吉川英治 「三国志」
...江陵の城へお出会いあるべしと...
吉川英治 「三国志」
...また兵船は七千余艘もあり、金銀兵糧の大半は、江陵城に蓄え、そのほか各地の城にも、約一年余ずつの軍需は常備してあります」と、つつむ所もなかった...
吉川英治 「三国志」
...彼らがもし江陵の要害に籠り...
吉川英治 「三国志」
...――こんな状態でいったらいつ江陵へ着くだろうと...
吉川英治 「三国志」
...初め江陵(こうりょう)へさして落ちてきたのであるが...
吉川英治 「三国志」
...ついに江陵(こうりょう)に入ることができなかった結果です...
吉川英治 「三国志」
...さらに、北岸の形勢をうかがうに、魏の曹操は、百万に近い大軍をもって、江陵、荊州地方から続々と行動を起し、水陸にかけて真黒な大軍団が、夜も昼も、南へ南へと移動しつつあります」と、あった...
吉川英治 「三国志」
...関羽は江陵より攻め来り...
吉川英治 「三国志」
...江陵城に趙雲子龍...
吉川英治 「三国志」
...江陵の三道へ向って...
吉川英治 「三国志」
...べつに江陵地方へ向わせ...
吉川英治 「三国志」
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