...毅は銭塘とは何人であろうかと思った...
田中貢太郎 「柳毅伝」
...毅はそれから金陵へ移ったが...
田中貢太郎 「柳毅伝」
...小児が生れたからほんとのことを申します」そこで毅は女と連れ立って洞庭へ行った...
田中貢太郎 「柳毅伝」
...いかにも沈毅英邁(ちんきえいまい)な豪傑の相たるに背(そむ)かない...
谷崎潤一郎 「武州公秘話」
...常陸國相馬郡上高井發見 岡田毅三郎氏藏三...
坪井正五郎 「コロボックル風俗考」
...見回して「毅一(きい)さん――道(みい)ちゃん――は?」二人の小児(こども)は子爵夫人の計らいとして...
徳冨蘆花 「小説 不如帰」
...公の既成政黨に入るは、絶對的に利ならず、又絶對的に害ならず請ふ末松男の例を觀察せんか顧ふに自由黨は決して末松男の理想を滿足せしむるの政黨にはあらじ唯だ彼は政黨の勢力を認識する政治家なるを以て、比較上政見相接近したる自由黨に入りたるのみ、其一利一害の多少は、要するに彼れの思想と自由黨との調和の度合如何に由れり換言せば自由黨が彼れの理想を容るゝこと多ければ多きだけ彼れの利多く、之れに反すれば其結果隨て同じからずといふまでなり近衞公に於ても又然り假りに公をして進歩黨に入らしめよ、進歩黨には公を崇拜するもの頗る多く、且つ公の人物を崇拜するのみならず、公の政見に同情を表するもの亦少なからざるを以て、其利必らず末松男の自由黨に於けるよりも大なるものあらむ而も其の決して公の理想を滿足せしむる能はざるものたるは毫も自由黨對末松男の關係に異らざる可きのみ人或は公が既成政黨の首領たる伎倆あるや否やを疑ふものあれども、是れは無益の疑問なり進歩黨は百二十餘の代議士を有すと稱すれども、一人の大隈伯に代る可き好首領なく、自由黨は亦百頭顱に近かき代議士を包有すと雖も、伊藤侯に非ずむば、其全黨を壓するの資望あるものなし近衞公は固より最良の政黨首領に非ざる可しさりながら星亨にして、犬養毅にして、將た末松謙澄にして、政黨の首領たるを得可くむば、公は更に彼等よりも大なる首領たるを得可きに非ずや...
鳥谷部春汀 「明治人物月旦(抄)」
...寺内正毅(てらうちせいき)や児玉源太郎(こだまげんたろう)など長州出身の名士から尊敬されていた人であったから...
蜷川新 「天皇」
...毅然(きぜん)として私の眼を打つだらう...
ブロンテイ 十一谷義三郎訳 「ジエィン・エア」
...故に後に帝国憲法起草者の一人となった故井上毅(こわし)君でさえ明治八年にプロイセン憲法を訳された時には「建国法」なる語を用いられた...
穂積陳重 「法窓夜話」
...まだ毅然(きぜん)としている人々――体格が貧弱で...
トオマス・マン Thomas Mann 実吉捷郎訳 「ヴェニスに死す」
...当時廣田弘毅さん...
三浦環 「お蝶夫人」
...両刀を抜いて毅然と立つ...
山中貞雄 「武蔵旅日記」
...その体重の百五十封度がそのまま剛毅と雄勁の同じ封度数であつた...
ジャック・ロンドン Jack London 山本政喜訳 「荒野の呼び声」
...生れつき剛毅(ごうき)で...
吉川英治 「三国志」
...毅然(きぜん)たる影を宇宙に印(しる)していた...
吉川英治 「新書太閤記」
...以前の質朴や剛毅さのあった土くさい青年とはちがう...
吉川英治 「宮本武蔵」
...俊敏(しゅんびん)とか剛毅とかいう質(たち)ではなかった...
吉川英治 「宮本武蔵」
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