...彼の歿年は一九一四年となって...
妹尾韶夫 「「ザイルの三人」訳者あとがき」
...爾来(じらい)居士の歿年である明治三十五年までおよそ六年間の両者の間の交遊は寧ろその道灌山の出来事の連続であったともいえるのである...
高浜虚子 「子規居士と余」
...大阪道修町(どしょうまち)の薬種商の生れで歿年(ぼつねん)は明治十九年十月十四日...
谷崎潤一郎 「春琴抄」
...尤も保忠の歿年は四十七歳と云うのであるから...
谷崎潤一郎 「少将滋幹の母」
...良永歿年に庄左衞門は十七歳であるが...
徳永直 「光をかかぐる人々」
...春信の歿年は明和七年七月十七日なること...
永井荷風 「江戸芸術論」
...その画(が)は元祖清信が歿年(ぼつねん)(享保十四年)の頃より寛延(かんえん)三年の頃まで続いて出(いで)しが故に...
永井荷風 「江戸芸術論」
...『関根氏名人忌辰録』に国重〈二代豊国〉天保六年歿年五十九とあり...
永井荷風 「江戸芸術論」
...先生の歿年より遡りておよそ四十年程も前にそれがストップして...
牧野富太郎 「牧野富太郎自叙伝」
...即ち歿年は八十三にあらずして八十二となるのである...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...要するに彦は、歿年より推すに、十五歳にして京都に来り、十九歳の兄霞亭と同居したものとおもはれる...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...歿年及年歯の記註不完全なるがために能はない...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...此に二三の人の歿年を列記する...
森鴎外 「細木香以」
...京水の歿年が天保七年だということは...
森鴎外 「渋江抽斎」
...五郎作は歿年から推算するに...
森鴎外 「渋江抽斎」
...前者の歿年に先つこと一年...
森鴎外 「壽阿彌の手紙」
...明確に歿年は分らないが...
吉川英治 「随筆 宮本武蔵」
...武蔵の歿年当時、春山は何歳だったかちょっと今手元の物では突きとめられないが、私が熊本へ行った折、泰勝寺の裏山にある春山の墓石から写し取って来た当時のスケッチブックを見ると「寛文十三年丑正月一日歿」とある...
吉川英治 「随筆 宮本武蔵」
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