...歌論は歌論へ、秋月は歌心へ、帰り行く友を送ってそこらまでの心算(つもり)がやがて博多の街つづきである箱崎になんなんとする地蔵松原――二里余もつづく千代の松原の一部、ここには米一丸の墓があって、人魂が飛ぶと云われた淋しいあたり、鉄道自殺と云えば地蔵松原を連想する程で、久作さんの『宙を飛ぶパラソル』はこのあたりでの出来ごとである――の果て近くまで論じ来り、遂いに淋しい松根に御輿をすえてしまい、秋月すでに帰り、太陽は名代の顔にしまを作ったと云う事である...
青柳喜兵衛 「夢の如く出現した彼」
...歌論に対する先生の自信はおそらくすべての人々が異常な感をもってそれに対したほどであった...
石原純 「左千夫先生への追憶」
...それが先生の最後に近い歌論ともなったことは...
石原純 「左千夫先生への追憶」
...むしろ反対の側にあったもので時には歌論などもやったものです...
伊藤左千夫 「子規と和歌」
...すなわちその作歌及び歌論について価値を定めねばならぬ...
伊藤左千夫 「正岡子規君」
...(昭和六年十一月渋柿)七 短歌の連作と連句近ごろ岩波文庫の「左千夫歌論抄(さちおかろんしょう)」の巻頭にある「連作論」を読んで少なからざる興味を感じたのであるが...
寺田寅彦 「連句雑俎」
...その頃大分「日本」紙上の歌論は喧びすしかつたが...
長塚節 「竹の里人〔二〕」
...猶、もうすこしで完成しようとしてゐたものに、一、日本詩歌論一、小泉八雲に關する研究の二つの著作をあげることが出來る...
堀辰雄 「萩原朔太郎」
...何がさて最後に歌論中のただ一箇処に対する長々しき攻撃有之...
正岡子規 「人々に答ふ」
...窪川鶴次郎の『短歌論』をおもちでしょうか...
宮本百合子 「歌集『仰日』の著者に」
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