...帰りて後常に黄檗山(わうばくさん)にいたり...
芥川龍之介 「僻見」
...黄檗山の頃は、なんでもあすこが大変涼しいと云ふので行つてゐられたらしく、寺の大きな広間の事ですから、風通しもよかつたのでせうし、ひどく其処が気に入つてゐたやうですが、そのかはり、やぶ蚊が大変だと云ふので昼間でも大きな蚊帳をつつて、その中で絵を描いてゐられたと云ふ事です...
上村松園 「思ひ出」
...今度は黄檗で見たやうな松の樹を描いて...
薄田泣菫 「茶話」
...そこには黄檗に似てもつかない弱い胃の腑が溜息を吐(つ)いてゐる...
薄田泣菫 「茶話」
...黄檗(わうばく)の隠元(いんげん)が日本へやつて来た折...
薄田泣菫 「茶話」
...」文豪の原稿7・30サンデー毎日紀州に光明寺といふ黄檗(わうばく)の寺がある...
薄田泣菫 「茶話」
...いつも青葉若葉の滴るやうな黄檗の空が思ひ出される...
薄田泣菫 「茶話」
...また黄檗宗支所並明寺などがあつた...
種田山頭火 「行乞記」
...書斎の壁にはなんとかいう黄檗(おうばく)の坊さんの書の半折(はんせつ)が掛けてあり...
寺田寅彦 「夏目漱石先生の追憶」
...黄檗板の藏經――今でも一切經の版木がありますが...
内藤湖南 「大阪の町人學者富永仲基」
...而も此の鐵眼の黄檗の藏經は四角い册子の形をして居る...
内藤湖南 「大阪の町人と學問」
...勿論此の黄檗の鐵眼板は鐵眼存生中に完成したものではあるまいが...
内藤湖南 「大阪の町人と學問」
...宇治黄檗山(おうばくさん)の山口智海という二十六歳の学侶が西蔵(チベット)へ行って西蔵訳の大蔵経(一切経または蔵経...
久生十蘭 「新西遊記」
...」檗山錦橋の碑には...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...杉本の文は偶(たま/\)江戸黄檗禅刹記中に存してゐること...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...「好天気にて休館(京都図書館の休業)なるを幸(さいはひ)十時頃より黄檗なる錦橋の墓を探りに出掛候...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...」黄檗山の錦橋碑の事は...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...自分も黄檗(おうばく)の衣鉢(いはつ)を伝えた身であって見れば...
森鴎外 「渋江抽斎」
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