...蓬平作(ほうへいさく)墨蘭図(ぼくらんづ)一幀(いつたう)、司馬江漢作(しばかうかんさく)秋果図(しうくわづ)一幀、仙厓作(せんがいさく)鐘鬼図(しようきづ)一幀、愛石(あいせき)の柳陰呼渡図(りういんことづ)一幀、巣兆(さうてう)、樗良(ちよら)、蜀山(しよくさん)、素檗(そばく)、乙二等(おつじら)の自詠を書せるもの各一幀、高泉(かうせん)、慧林(ゑりん)、天祐等(てんいうら)の書各一幀、――わが家(や)の蔵幅(ざうふく)はこの数幀のみなり...
芥川龍之介 「わが家の古玩」
...黄檗山の頃は、なんでもあすこが大変涼しいと云ふので行つてゐられたらしく、寺の大きな広間の事ですから、風通しもよかつたのでせうし、ひどく其処が気に入つてゐたやうですが、そのかはり、やぶ蚊が大変だと云ふので昼間でも大きな蚊帳をつつて、その中で絵を描いてゐられたと云ふ事です...
上村松園 「思ひ出」
...今度は黄檗で見たやうな松の樹を描いて...
薄田泣菫 「茶話」
...黄檗といへば、あそこには名高い鉄眼和尚の一切経の木板が遺つてゐる...
薄田泣菫 「茶話」
...また黄檗宗支所並明寺などがあつた...
種田山頭火 「行乞記」
...書斎の壁にはなんとかいう黄檗(おうばく)の坊さんの書の半折(はんせつ)が掛けてあり...
寺田寅彦 「夏目漱石先生の追憶」
...「黄檗(おうばく)を出れば日本の茶摘みかな」茶摘みの盛季(さかり)はとく過ぎたれど...
徳冨蘆花 「小説 不如帰」
...日本では鐵眼の黄檗の藏經が民間の力で出版された初めである...
内藤湖南 「大阪の町人と學問」
...勿論此の黄檗の鐵眼板は鐵眼存生中に完成したものではあるまいが...
内藤湖南 「大阪の町人と學問」
...元来インゲンマメは昔山城宇治の黄檗山万福寺(おうばくせんまんぷくじ)の開祖隠元禅師(いんげんぜんじ)が...
牧野富太郎 「植物一日一題」
...江戸黄檗禅刹記(わうばくぜんさつき)を閲(けみ)するに...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...杉本の文は偶(たま/\)江戸黄檗禅刹記中に存してゐること...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...墓は檗山竜興院の墓地...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...「好天気にて休館(京都図書館の休業)なるを幸(さいはひ)十時頃より黄檗なる錦橋の墓を探りに出掛候...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...俗の方は昔日兄上に江戸黄檗禅刹記の事を報ぜし吉永卯三郎君に候...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...黄檗でも殊に天麩羅は良人の得意で...
矢田津世子 「茶粥の記」
...黄檗では煮汁も大根おろしも添えない...
矢田津世子 「茶粥の記」
...とくに黄檗の寺もあったので...
柳田国男 「故郷七十年」
便利!手書き漢字入力検索