...ところが去年の春、以前私のお弟子さんであった女流の画人で、河内生まれの方がひょっこり訪ねて来て、談たまたま楠公夫人の話が出た折り、そのお弟子さんは、「楠公夫人は、代表的な河内型のお顔であったという言いつたえが残っています」と教えてくれた...
上村松園 「楠公夫人」
...小楠公の首塚のある宝篋院である...
上村松園 「楠公夫人」
...金剛寺その他楠公に関係ある所へ行って甲冑(かっちゅう)を調べたのです...
高村光雲 「幕末維新懐古談」
...宮城門の楠公の御像(みぞう)の雄姿(ゆうし)又問ひぬ...
渡久山水鳴 「都の話」
...途中湊川の楠公の碑を弔った...
内藤鳴雪 「鳴雪自叙伝」
...これ楠公子に別るるのところ」小声で...
直木三十五 「南国太平記」
...日本六十余州を相手として戦えると大楠公(だいなんこう)も保証している...
中里介山 「大菩薩峠」
...師の病体(からだ)を神戸にうつすと同時に「楠公(なんこう)父子桜井の訣別(けつべつ)」という...
長谷川時雨 「マダム貞奴」
...猶君が所謂楠公権助のごときのみ...
山路愛山 「明治文学史」
...「太閤夫人」「細川ガラシヤ」「静御前」「楠公夫人」「小野寺十内の妻」等を主婦之友へ...
吉川英治 「年譜」
...楠公一族が、忠烈な碧血(へきけつ)をもって苔と咲かせた摂河泉(せっかせん)の石を、湊川(みなとがわ)まで運ばせて、大きな碑を建てよう――という計画であるらしく窺(うかが)われた...
吉川英治 「梅里先生行状記」
...光圀が尊敬し師事していた朱舜水(しゅしゅんすい)の文集のうちにある楠公画賛(がさん)の一文をとって...
吉川英治 「梅里先生行状記」
...楠公(なんこう)のご精神が...
吉川英治 「梅里先生行状記」
...――小楠公はそう下知(げじ)された...
吉川英治 「梅里先生行状記」
...小楠公の手についてしまったということだ...
吉川英治 「梅里先生行状記」
...実は楠公碑の建立で...
吉川英治 「梅里先生行状記」
...七たび生れてこの国を護らんと仰っしゃった大楠公の御心(みこころ)は...
吉川英治 「宮本武蔵」
...大楠公の奉じた武士の道――抱いたであろう理想とは...
吉川英治 「宮本武蔵」
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