...燕山楚水(えんざんそすい)...
芥川龍之介 「奇遇」
...今や彼等が倒懸の苦楚に堪ふる能はず...
芥川龍之介 「木曾義仲論(東京府立第三中学校学友会誌)」
...楚の公子の来り弔するや...
芥川龍之介 「北京日記抄」
...さうして私は眞正に碎かれざる心の苦楚の故に黯然としてゐる...
阿部次郎 「三太郎の日記 第一」
...齋藤緑雨、田岡嶺雲、小泉三申、山路愛山、石川半山、斯波貞吉、杉村楚人冠、久津見蕨村などいふ人々は、屡平民社を訪れて、或は舌に、或は筆に、平民新聞を賑はしてくれた同情者でありました...
石川三四郎 「浪」
...卞和(へんくわ)が玉も楚王(そわう)を得(え)たればこそ世にもいでたれ...
京山人百樹刪定 「北越雪譜」
...之を梁の元帝頃の人だとする四庫全書提要の説に從ふとするも梁代には既に荊楚地方に行はれて居つたことを明かにし得る...
原勝郎 「鞦韆考」
...楚々(そそ)たる蓮歩を運びたもう様子...
久生十蘭 「ノンシャラン道中記」
...室内は戦場のような混雑からまたもとの清楚な趣きに立ち還った...
久生十蘭 「魔都」
...誰からでも直ぐに圧迫を覚える滝であつたが蜻蛉のやうに楚々たる体格の小柄なNからは何んな自分のわざとらしさを感じたこともありません...
牧野信一 「舞踏会余話」
...『楚辞(そじ)』に「秋蘭(同名あり)ヲ(つ)ギテ以テ佩ト為ス」と出で...
牧野富太郎 「植物記」
...其四面楚歌の聲の中に立つて...
三島霜川 「自傳」
...これは江乙(こういつ)が楚王に〈狐虎の威を仮る〉と言った故事で『戦国策』に出ている...
南方熊楠 「十二支考」
...『韓詩外伝』に〈楚熊渠子(ゆうきょし)夜行きて寝石を見る...
南方熊楠 「十二支考」
...翡翠の歎き一杉村楚人冠(すぎむらそじんかん)氏は...
柳田國男 「野草雑記・野鳥雑記」
...ほんのりと、楚々とある...
吉川英治 「新書太閤記」
...……ですから、あんなあどけない容子(ようす)もありながら、折にふれては、男も及ばない剛毅(ごうき)なところがあったりして、私なども、ままびッくりさせられることがあるのでございます」尼のことばが切れたのは、そのとき当の於通が、ふくさに茶碗をのせ、楚々(そそ)と、友松のまえにそれをささげて来たからであった...
吉川英治 「新書太閤記」
...御新造先生の楚々(そそ)たる歩みと...
吉川英治 「忘れ残りの記」
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