...この人の文を見るも楚々(そそ)たる落墨直(ただち)に松を成すの妙はあらず...
芥川龍之介 「骨董羹」
...清楚(せいそ)甚だ愛すべきものあり...
芥川龍之介 「大正十二年九月一日の大震に際して」
...楚の公子――馬夙彩(ばしゅくさい)...
芥川龍之介 「北京日記抄」
...あの四君子(しくんし)に喩(たと)へられてゐるやうな清楚(せいそ)なものではなく...
犬養健 「朧夜」
...楚人冠(そじんかん)等と小集...
高浜虚子 「五百句」
...トオスミトンボのような楚々(そそ)たる者もあり...
高村光太郎 「蝉の美と造型」
...上空から次第に拭ひ去られた雲は僅かに比叡と比良の頂に白紗を纏ふたごとく殘つてゐたが、正午ごろになつて太陽の光が一層強くなつてくると、やがて比叡の頭にも雲は消えてなくなり、船の北進するにつれて山の影は次第に淡く南に殘り、清楚な夏の姿は、さながら薄化粧を施したやうに緑の上を白く霞に包まれてゐる...
近松秋江 「湖光島影」
...蜀山(しょくさん)を兀(は)がした阿房宮が楚人(そびと)の一炬(いっきょ)に灰になる...
徳冨健次郎 「みみずのたはこと」
...當時楚の國の如き夷狄の盛になつたものに對して膺懲の意を寓したものであるから...
内藤湖南 「尚書稽疑」
...楚人(そじん)これを作って漢人啖(くら)う――と白雲がわけもなく納まって……やれやれ...
中里介山 「大菩薩峠」
...独リ柳北ヲシテ再度楚囚ノ惨味ヲ喫セシメシ而已ナラズ...
成島柳北 「祭活字子文」
...最も早く文献に見えたのは宗懍の荊楚歳時記以外には隋書の藝文志に載せてある古今藝術圖を以て始めとするらしい...
原勝郎 「鞦韆考」
...漢楚(かんそ)軍談のむかしと明治の今日(こんにち)とは世態(せいたい)固(もと)より同じからず...
福沢諭吉 「瘠我慢の説」
...楚々たる明快な川瀬に達したかのやうな安らかさを覚えさせるのであつた...
牧野信一 「小川の流れ」
...清楚なる者は白沙浅水...
正岡子規 「四百年後の東京」
...楚々(そそ)と姿をあらわした美人がある...
吉川英治 「三国志」
...退(さ)がって来る美人――何かを捧げ持って――燈影(とうえい)の下を楚々(そそ)と通う女性たちの色やにおいにそれが濃い...
吉川英治 「梅里先生行状記」
...第八の楚の昭王の話はちょっと問題になる...
和辻哲郎 「孔子」
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