...それに反して好く晴れた日の駒ヶ岳は清楚な感じがある...
近松秋江 「箱根の山々」
...その落ちである(杉村楚人冠『新聞の話』一二七頁以下参照)...
戸坂潤 「現代哲学講話」
...尤も楚辭の如きは漢初に於て經書と同樣に世に重んぜられたものであらうから...
内藤湖南 「爾雅の新研究」
...恐らく楚辭の學は漢初に於て殆ど經書の研究と同樣に盛であつたので...
内藤湖南 「爾雅の新研究」
...たとへば詩、楚辭、山海經と云ふ樣な者、それ等のものが主となり、それによりて緯書その他の研究が、古典學に貢獻することも少なくないだらうと思ふ...
内藤湖南 「支那古典學の研究法に就きて」
......
内藤湖南 「支那目録學」
...劉逢祿の書序述聞には謹案、孔子序周書四十篇、東周之書、惟文侯之命秦誓二篇而已、合而讀之、一爲孱弱之音、一爲發憤之氣、興亡之象昭昭也、春秋書晉人及姜戎敗秦於、公羊子曰、謂之秦、夷狄之也、詐戰書日盡也、穀梁子亦曰、徒亂人子女之教、無男女之別、秦之爲狄、自之戰始也、秦穆不用蹇叔百里子之謀、千里襲鄭、喪師遂盡、晉襄背殯用師、亦貶而稱人、序書何取焉、取其悔過之意、深美約、貽厥孫謀、將以覇繼王也、詩書皆由正而之變、詩四始言文武之盛、而終于商頌、志先王之亡以爲戒、書三科述二帝三王之業、而終於秦誓、志秦以狄道代周、以覇統繼帝王、變之極也、春秋撥亂反正、始元終麟、由極變而之正也、其爲致太平之正經、垂萬世之法戒、一也、と言ひ、又宋翔鳳の尚書譜には謹案、孔子序周書、自大誓訖※命、皆書之正經、以世次、以年紀、其末序蔡仲之命費誓呂刑文侯之命秦誓五篇者、幼嘗受其義於葆先生、曉畢、未能詳紀、犇走燕豫、留滯梁荊、函丈斯隔、七年於茲、茲譜尚書、細繹所聞而識之曰、尚書者述五帝三王五伯之事、蠻夷猾夏、王降爲覇、君子病之、時之所極、有無如何者也、蔡之建國、東臨淮徐、南近江漢、伯禽封魯、淮夷蠻貊、及彼南夷、莫不率從、不意蔡侯一虜、熊貲始大、楚之覇業、先於五邦、呂命穆王、實作自呂、征彼九伯、浸及齊桓、晉秦之興、復在其後、覇者之業、相循而作、帝王之統、由此一變、史伯之對鄭桓言秦晉齊楚代興、史之見秦獻言別五百載復合、運會所乘、惟聖賢能見其微、孔子序五篇於書之終、中候之文究於覇免、所以戒後王制蠻夷式羣侯、不可以不愼、と言つてゐる...
内藤湖南 「尚書稽疑」
...楚の南方の属国たる巣と徐とが呉の侵略を受け...
中島敦 「妖氛録」
...初々しいセルの着物にお下げの髪を垂した清楚な小娘を...
中村地平 「悪夢」
...娘さんはなるべく清楚(せいそ)にと思います...
林芙美子 「着物雑考」
...楚忽之儀人怪之と説けるは...
原勝郎 「吾妻鏡の性質及其史料としての價値」
...線の細いエッチングか素描でも見ているような清楚な印象を受けた...
久生十蘭 「蝶の絵」
...譬えようのない清楚を...
久生十蘭 「魔都」
...楚軍(そぐん)振(ふる)わず項羽(こうう)が走りて烏江(うこう)の畔(ほとり)に至りしとき...
福沢諭吉 「瘠我慢の説」
...名は楚を伐ちて包茅を責むるは...
司馬遷 箭内亙訳註 「國譯史記列傳」
...物いわないその清楚な慰めには...
横光利一 「旅愁」
...清楚(せいそ)なすがたを...
吉川英治 「上杉謙信」
...客を再拝して、楚々(そそ)と、良人のかたわらに戻った...
吉川英治 「三国志」
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