...桜田本郷町を過ぎて警視庁...
高浜虚子 「丸の内」
...その翌年、私の二ツの時は安政の大地震(おおじしん)、三年は安政三年の大暴風――八歳の時は万延元年で、桜田の変、井伊掃部頭(いいかもんのかみ)の御首(みぐし)を水戸の浪士が揚げた時である...
高村光雲 「幕末維新懐古談」
...西丸下桜田に至って二つに別れ...
田中貢太郎 「日本天変地異記」
...殿下はそこで御休息遊ばし、おもてなしをお受けなされまして、それより千本の桜、花園、桜田、ぬたの山、かくれがの松などを御覧遊ばし、芳野山梢の花のいろ/\におどろかれぬる雪の曙また関屋の花の木の下にて、芳野山誰とむるとはなけれども今宵も花のかげにやどらん関白殿のお歌には、木々は花苔路は雪と御芳野のわけあかぬ山の春の袖かな以下の公卿衆、大名衆、紹巴(しょうは)、昌叱などの方々も、めい/\短冊を染められまして、さてかねの鳥居、仁王門をお通りになり、蔵王堂へ御参詣なされ、南朝の皇居のあとをおとぶらいなされましてから、桜ヶ嶽、今熊野、たってん山、聖天山、弁才天山など、峰々の花をお眺め遊ばして、昔義経が暫く忍んでおりましたと云う吉水の城を御旅館にお充(あ)てなされました...
谷崎潤一郎 「聞書抄」
...私は錦町からの帰途桜田御門(さくらだごもん)の方へ廻ったり九段(くだん)の方へ出たりいろいろ遠廻りをして目新しい町を通って見るのが面白くてならなかった...
永井荷風 「日和下駄」
...肝心の桜田義挙が予定を大狂わせに早めてすでに三月三日に決行済みになっていた事実を一同一向に知らなかったことだけはたしかである...
服部之総 「志士と経済」
...四桜田義挙に関する水薩密約にいう決行予定日「二十日前後」を有馬新七『義挙要録』記載にそのまま基づいて二月二十日と見...
服部之総 「志士と経済」
...外(そと)桜田のほうへ急ぐ...
久生十蘭 「ボニン島物語」
...桜田門へ来ると夥(おびただ)しい巡査だ...
平出修 「畜生道」
...その歳(とし)の三月三日に桜田に大(おお)騒動のあった時であるから...
福澤諭吉 「福翁自伝」
...外桜田の戸田邸から番町の美濃部方へよめに来たのである...
森鴎外 「じいさんばあさん」
...阿部の上屋敷は外桜田でたいした距離ではない...
山本周五郎 「日本婦道記」
...宵の五刻(いつつ)前に外桜田へかかっている筈...
吉川英治 「剣難女難」
...念じてはいるが……』『他の者は』『見えん』『桜田門か...
吉川英治 「新編忠臣蔵」
...桜田門外の上屋敷から来て...
吉川英治 「新編忠臣蔵」
...江戸表の桜田門で...
吉川英治 「旗岡巡査」
...佐野竹之介殿なども?)桜田のあの日の――同志の悽惨(せいさん)な顔つきが眼にうかぶ...
吉川英治 「旗岡巡査」
...(飯倉(いいぐら)か――桜田か――いや白金の下屋敷が...
吉川英治 「無宿人国記」
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