...桓武天皇以來(かんむてんのういらい)孝明天皇(かうめいてんのう)まで七十一代(だい)は京都(けうと)に都(みやこ)したまひたるにて...
伊東忠太 「日本建築の發達と地震」
...かの斉桓(せいかん)晋文(しんぶん)の徒の為した覇業の大規模なるのが...
大隈重信 「永久平和の先決問題」
...――藤沢桓夫氏の「少年」のなかの昌平はどうであるか...
豊島与志雄 「性格を求む」
...竈の神であつて同時に大和の國で桓武天皇の皇太后の母方の家の方で祀つて居つた竈の神があつて...
内藤湖南 「近畿地方に於ける神社」
...仲尼の徒桓文の事を道ふものなし(公孫丑上)と言ひ...
内藤湖南 「尚書稽疑」
...靈帝光和中を桓靈間と改めたるは...
内藤湖南 「卑彌呼考」
...八面大王のいわれはこうです――桓武天皇(かんむてんのう)の御代(みよ)...
中里介山 「大菩薩峠」
...美食家の斉(せい)の桓公(かんこう)が己のいまだ味わったことのない珍味(ちんみ)を求めた時...
中島敦 「名人伝」
...車はかんかららんに桓武天皇の亡魂を驚(おどろ)かし奉(たてまつ)って...
夏目漱石 「京に着ける夕」
...藤沢桓夫の「淡雪日記」を読み了る...
古川緑波 「古川ロッパ昭和日記」
...」三男桓三郎の生れたのは...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...桓三郎は後一たび玄英と称し...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...そして後に正桓(まさたけ)に配せられた第六女寿子(ひさこ)を除く外...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...」阿部正桓(まさたけ)の入京である...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...桓公(くわんこう)既(すで)に賢(けん)なり...
司馬遷 箭内亙訳註 「國譯史記列傳」
...曰く客蹤乗レ興輙盤桓...
山路愛山 「頼襄を論ず」
...「さきに前線へ来て悪戦苦闘を続けておられたわが呉王の甥君(おいぎみ)たる孫桓(そんかん)は...
吉川英治 「三国志」
...いまだかつて桓霊(かんれい)に歎息痛恨したまわざるはあらざりき...
吉川英治 「三国志」
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