...(『文芸戦線』一九二九年十一月号に今村桓夫名で発表『今野大力・今村恒夫詩集』改訂版を底本)...
今村恒夫 「鋼鉄」
...中に青牛ありしと見え、『白沢図』には、木之精名二彭候一、状如二里狗一無レ尾、可二烹而食一レ之、とあり、亦た『元中記』にも、千歳樹精為二青羊一、万歳樹精為二青牛一、多出二遊人間一、漢桓帝時出遊二河上一、忽見二一青牛一、従二河中一出直走盪、桓帝辺人皆驚走、大尉何公時為二殿中将軍一、有二勇力一、輙走逆レ之、牛見二公往一乃走還レ河、未レ至何公及レ牛、乃以レ手抜二牛左足一脱、以二右手一持レ斧、斫二牛頭一而殺レ之、此青牛是万年木精也、とあり、其他玉の精、金の精、山の精を記し『白沢図』にもまた、水の精を説き、火の精を説き、故井の精を説き、故門の精を説き、其他の種々の精の名を挙ぐること、甚だ詳なり...
高木敏雄 「比較神話学」
...天平期の完成に伴う諸弊害を一掃せられた英邁(えいまい)な桓武天皇の平安遷都前後にあたってもう一度人心は粛然として真剣の気を取りもどした...
高村光太郎 「美の日本的源泉」
...いわゆる光仁・桓武の朝...
徳富蘇峰 「将来の日本」
...加茂川の水さへ死ぬ頃を見計らつて桓武天皇の亡魂でも食ひに來る氣かも知れぬ...
夏目漱石 「京に着ける夕」
...今(いま)さらのように桓武(かんむ)天皇の御宇(ぎょう)から堀り起して...
夏目漱石 「虞美人草」
...武帝説よりも更に甚しいのは鞦韆の起原を齊の桓公の山戎征伐に遡らせやうとする説で...
原勝郎 「鞦韆考」
...藤沢桓夫の「淡雪日記」を読み了る...
古川緑波 「古川ロッパ昭和日記」
...桓三郎は後一たび玄英と称し...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...福山藩主阿部正桓(まさたけ)に随つて福山を発し...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...」阿部正桓東行の日が再び卜せられたのである...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...及三小白立爲二桓公一...
司馬遷 箭内亙訳註 「國譯史記列傳」
...だいいち、馬は血統書ひとつで國際的評價さへもつが、人間のは、桓武の末流も、清和源氏のながれも、古本一册にも値しない...
吉川英治 「折々の記」
...案の如く、二更の頃、孫桓の陣に、猛烈な火の手が揚がった...
吉川英治 「三国志」
...年まだ二十七歳の朱桓(しゅかん)であった...
吉川英治 「三国志」
...どうしても朱桓の軍に勝てなかった...
吉川英治 「三国志」
...平氏(へいし)は桓武天皇(かんむてんのう)よりわかれ給うところ...
吉川英治 「新書太閤記」
...桓武天皇は、おれたちの世の今、さっそく現われてくれればいいような名天子であった...
吉川英治 「平の将門」
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