...将棋の桂馬の動きがわからない...
...桂馬の角度によって馬を乗り越えなければいけない壁がある...
...桂馬の飛び越える位置が限られているので注意が必要だ...
...漢詩に「桂馬飄逸」という表現がある...
...あの人は桂馬のような運動神経を持っている...
...君のその桂馬(けいま)を...
梅崎春生 「Sの背中」
...その代り、現金だよ」そこで猿沢は十円札を三枚ぱっと出して、桂馬を買い取り、それをパチッと盤面に打ちました...
梅崎春生 「Sの背中」
...桂馬を受取りました...
梅崎春生 「Sの背中」
...將棋さすにも、王を一方にとぢこもらせて、金將、桂馬、香車、二三の兵にて守れば、一寸完全なるやうなるも、こは、案外に、もろく敗る...
大町桂月 「國府臺」
...相馬氏が歩と桂馬とを人生の秘密か何ぞのやうに...
薄田泣菫 「茶話」
...仏様は将棋の桂馬のやうな足音をさせて...
薄田泣菫 「茶話」
...つづいてちょうど星座とそれを構成する各(おのおの)の星にそれぞれ名があるように大きくは定石、布石、細かくは小桂馬(こげいま)しまり、大桂馬しまり、一間高(いっけんたか)がかり、二間高がかり、等、等、無数の名で呼ばれるそれぞれの場合場合の利害得失を考えていろいろな形に互の石が配置される...
中勘助 「独り碁」
...赤方の香車の旗は桂馬と替へられて出たのは竹刀を持つた若物で...
長塚節 「撃劍興行」
...お見知り置きを願ひたい」久保木桂馬と名乘る中老人は...
野村胡堂 「錢形平次捕物控」
...――さすがは高名な平次殿だ」久保木桂馬は舌を卷いてをります...
野村胡堂 「錢形平次捕物控」
...久保木桂馬とは、主從の關係を越えて親(した)しい間柄のやうです...
野村胡堂 「錢形平次捕物控」
...「これで皆んなぢや」久保木桂馬は...
野村胡堂 「錢形平次捕物控」
...哲學を御研究なさつた御方は大體御存知であらうが、紀元前五百年の中程に生れた學者で有名な希臘の哲學者ピタゴラスといふ人がある、是れは釋迦と殆んど同時代の人である、この人は諸方へ旅行をした人で希臘人でありますが、小亞細亞、埃及にも行つて居り、或は波斯を經て印度まで旅行をしたといふ説もあります、この人は餘程不思議な所謂ピタゴラス團體なるものを作つた、この團體は今から申しますると一寸學校の樣な或は塾のやうなものでありまして、一定の年限の間澤山の弟子が諸方より集まり來つて先生の下に修業する、希臘ではこの時代まで個人々々で學術を研究するものは隨分あつたが、講義をするといふはピタゴラスが初めてである、而して此の團體に於ては身體と精神との修養を基とするもので普通五年の年限を定めた、此に一つ不思議な事がある、即ち彼等五年の間は沈默を守るといふ事が法則になつて居つて、五年の修養の時代は己を修むる時代であるから、人に向つて講説するといふやうな事が出來ないのである、尚不思議な事はピタゴラス自身が常に白衣を着て居つた、是れは當時の希臘人には例のないことである、又食事の時には麺包と水とを食ひ、酒は一切飮む事を禁じてある、夫から又肉も食はない全く蔬食である、モウ一つ面白い事は蠶豆を食ふ事が出來ない、さういふ不思議な團體を作つたのであります、所がこの團體は後世中々有力なものとなつて伊太利、希臘の間に於ては政治上にこそ關係せぬが總ての社會上の事柄に於ては大なる勢力を持つて居つたものである、近來の研究に依るとピタゴラスの説或はピタゴラス團體の學則等に於ては、どうしても印度から得來つた所があるに相違ないといふ事が判つて來たのである、第一にピタゴラスの唱へて居る不思議な事は輪廻の説である、先日もいつたが印度では古くから輪廻といふことを説き、人類は其の業の善惡により、上は天界より下は植物界に至る迄輪廻轉生するといふことを唱へたのであります、がピタゴラスも亦此輪廻の説を説いて居る、希臘には未だ曾てなかつた説で、此人が初めて唱へたのである、從來の史家もピタゴラス輪廻の説の何處から起つて來たものであるかといふ事を考へては居つたが、果して何處から得來つたといふ確な事は判らなかつた、有名なる史家のヘロトタスは是を以て埃及から得て來たものであらうと考へて居つた、所が埃及には輪廻の説は少しもなかつたのである、御存知の通り埃及にはミイラといふものがある、人が死ぬと其體をそつくり殘して置く、といふのは我々人間が死ぬと魂は一時何處かへ行くが又元の肉體へ歸つて來るといふ信仰から其の肉體は其の儘殘して置かなければならぬと考へ、ミイラ漬にして取つて置くのである、是に依つて見ても埃及には輪廻説のあらう筈がない、所が印度に於ては輪廻説は釋尊以前盛に説かれてある、善事を行へば善報があり、惡事をすれば惡果があるといふことは印度人の動かすべからざる信仰である、それから尚ピタゴラスは肉體を牢屋に比較して精神、魂といふものはこの牢屋に這入つて居る故に絶えず苦患を受ける、實に肉體といふものは惡いものであると考へて居つた、肉體を牢屋に比するといふ事も印度には釋迦以前からある所の思想である、而して人はどうかして精神をこの牢屋の肉體から救ひ出さなければならぬと考へ、此に樣々の解脱の方法が案出されたのであります、この輪廻の説や牢屋の説を考へるとピタゴラスの説はどうしても印度から得來つたものではなからうかといふ疑ひが起らざるを得ない、尚又印度人は肉食を禁じて居る、極古い時代には肉食もしたものでありますけれども、段々後になりますと肉を食ふのは惡いといふ考へで蔬食のみを取つた、是れは佛教ばかりでなく他の印度人も總て蔬食をやつて居る、無論酒を飮むことも惡いのでありまして、佛教の五戒の中にも又バラモン教の五戒の中にも之を禁じてある、併しながらピタゴラスの是を禁じたのは偶然の暗合であるとしても、蠶豆を喰べないといふことは實に不思議といはなければならぬ、印度に於ては極古い時から蠶豆は不淨のものとしてあつて、食ふべからざるものといふ思想が行はれて居つた、で紀元前數百年以前に出來たバラモンの書物の中にも蠶豆は不淨のものであるから食つてはならぬ、又是を神に供へてはならぬとある、斯ういふ事を以て東西暗合に歸するのは寧ろ奇怪な説明と言はなければならぬ、でドウしても是れは昔印度からして希臘へ傳はつた思想であらうと思ふ、夫から尚ピタゴラスは哲學者でありますけれども、數學にも長じて居つたといふ事であります、幾何學にある問題(別圖參看)の直角三角の弦の上に作つた所の方形は他の二邊の上に作つた方形を合せたものに等しいといふことの解釋は、西洋ではピタゴラスが初めてなしたものであるといつて居る、が是れもピタゴラス自身が考へ出したものではないやうに思はれる、印度に於ては紀元前七八百年前既に數學は中々盛に研究されて居る、是れは神に事へる所の儀式の關係から研究しなければならぬやうになつて來たのである、而して當時に出來た所の數學の書物も今に殘つて居るが、其の書物には明かに此の問題が證明されて居るのであります、でありますから他の點と併せ考へて、是もピタゴラスが印度から受けたものであらうと思はれる、少し話が別途へ入るが今は日本でも一般に用ひて居る亞拉比亞數字(0123456789)といふものが傳はつて來てから數學は非常に發達することが出來、數學も歴史の上には亞拉比亞文字の功は實に大なるものであるが、是を亞拉比亞では印度文字といつて居る、元來是れは亞拉比亞文字ではなく印度の文字で、以前亞拉比亞から傳へたから西洋人は亞拉比亞文字というて居るが、亞拉比亞では印度人から傳はつたものであるので印度文字といふ、印度から亞拉比亞へ傳はつたのもさう古いことではない、大抵紀元後八九世紀頃である、是に就て面白い話がある、從來西洋人は何でも自分等の國の文明は希臘から起つたと考へ、總て希臘を元とする説が行はれて居つた、近代になつて東洋殊に印度の學術が開け、是を研究したものは西洋の文學も必ずしも希臘が元でない、印度から起つたものも夥しい事であるとの説を立てた、然し昔の學者は容易に聞入れなかつた、其處で所謂亞拉比亞數字と印度の數字とを並べ書いて見せた所が、其似寄りの甚しきに驚き、是から追々希臘本元説も衰へて來たといふことがある、元來印度でも希臘でも、又其の後の羅甸であるにしても、尚下つては近世の歐羅巴語であつても、言葉の中には似寄つたのが澤山ある、希臘人でも印度人でも元は同一人種の分岐したので、一方は印度へ下り、一方は希臘に移つたのであるから、古い言葉は雙方共今に存して居るのである、例へばサンスクリツトのアカは水の事、羅甸語でもアカ、英語でも水族館の事をアカクアリユム、水成岩をアクエアス、ロツクと云ふ、其のやうな事は澤山ある、文典の上にも非常な似寄がある、斯樣なことは實に不思議のやうでありますけれども、其の謂はれを質して見れば、何でもない當然のことである、夫からしてピタゴラスは五元素説を唱へた、佛教でも地水火風空を五大と言ふ、大とはエレメント、元素の事です、希臘でも地水火風を四大と説いて居つたが、地水火風空の五元素とは言はない、支那の五行の木火土金水といふのも稍似寄つては居るが、是れは印度と全然無關係である、兎に角希臘では地水火風を以て四の元素であると看做して來たが、ピタゴラスに至つて初めて地水火風空の五大といふことを説き出した、此の五大の思想は、印度に於ては古くから行はれて居り、決して珍しいことではない、五大が解散するといへば人間の死ぬるといふことを意味する、で此の説も亦ピタゴラスの印度と同じ所である、夫からモー一ツお話して置かなければならぬのは、ピタゴラス團體といふものは、精神を修養する目的の爲に音樂を用ひたのである、氏以前希臘には音樂と云ふものはない、ピタゴラス時代に於て、初めて音樂が始まつて來た、所が音樂も印度には、神前で歌を讀み、詩を誦する時に之を併せ用ひ、非常な古くから開けたもので、西洋の音樂の譜のド、レ、ミ、フ、ハ、ソ、ラ、セ、ドと云ふのも印度が元で、印度から歐羅巴に傳はつたのである、だから單純ながらも音樂の基礎は印度に始まつたと言つても宜しい、であるからピタゴラスが果して音樂を以て其精神を柔らげ、修養の助にしたとすれば、其の思想若くは技術は、矢張印度から得て來たものに相違ないと考へる、一般の人はピタゴラスが音樂を始めたと云うて居るが、是れは間違であらう、此等を綜合して考へるとピタゴラスの思想の中には印度から得來つたものが澤山あるやうである、而して古くから印度の思想慣習が、希臘に來て居つたものであるといふことは疑ひを容れぬ、尚ピタゴラスは前にいつた通り社會上に大なる勢力を持つて居つたものであるから、從つて希臘の人心に印度の思想が間接的大なる感化を與へたといふことも明らかである、夫れから下つてアリストテレースに就て御話致しませう、アリストテレースは、紀元前二百年代の人で、今からは大凡二千一百年代の人であります、此は有名なる希臘の哲学者で當時第一流の學者であり、又歴山大王の師傅でありました、歴山大王と云へば、諸君も大抵御存知でありませうが、方々遠征をした、軍人としても豪い人である、此の人が印度へ來た時には少しばかり内地へ進み込んだのであります、けれども何分希臘から兵隊を連れて來、彼等は多年の間故郷を離れて居つた爲、最早や先へ進むことを好まないので到頭王も印度の中央迄も進まない内に、引返さなければならぬやうになつた、歴山大王は何時でも那翁の如く僅の兵を以て土地の澤山の兵を破つた人である、印度に於ても兵隊の組織は、隨分古くから整へてあつたが、印度には四種の兵隊がある、一には象兵、是れは象に乘つて槍を持つて居る、二には車兵、是は大きな車に乘つて(車は無論馬に曳せてあるが)、弓を引くばかり、三には歩兵、四には騎兵である、象兵が眞中に、車兵が左右の兩方に、歩兵が前後に、騎兵が左右の車兵の後に列をして居る、象兵が眞先に敵陣を亂す、所へ車兵が驅けて來て弓を射る、其の後へ歩兵が進む、騎兵は敵が逃て往く時に追撃の用をなす、歴山大王には歩兵と騎兵、僅かの射兵としか居らぬ、王の最も巧に用ひたのは騎兵である、矢張り當時に於ては、歴山王の方が軍法に於て進んで居つたと見えて、最後の合戰の時歴山王の騎兵は遠廻しに廻りて敵の背面を衝いた、印度軍は背面攻撃によつて大恐慌を來し、軍兵が亂れ、續いて象兵が亂れて却て自分の兵が象兵の爲に踐倒されて、自然に潰亂してしまつたのである、日本の將棊のコマの飛車は即ち車兵、桂馬は騎兵、歩は歩兵で、象兵は槍であります、此の將棊のコマの樣なものも印度には古くからしてある、印度は賭事の流行つた所で自然に此の樣の遊戯の具も發達したものと見える、西洋の將棊も印度から傳はつたもので、形は稍違つて居るが、土地によつて變化したものである、日本の將棊盤の目は縱横九つあるが、印度には色々種類があつて、五道六道七道等のものもある、夫れで兎に角歴山大王は印度を破り、後事を其の幕下の將軍に任して歸つた、王の將に歸らんとする時、二人の印度學者を本國へ連れて行かうとした、が一人は何うしても聽かない、歴山大王が色々と勸め、希臘に來るならば非常に大なる贈物を與へやう、又其の望み通り何んでもさしてやらうと言ふたが、其の人は竟に其の求めに應じなかつた、一人は終に確かアレキサンドリヤまで往つて其處で死んだ、是れによつて見ても歴山大王は大に印度の學術に注意して居つたことが判る、一體歴山王が印度へ遠征を試みたといふもの、は既に其の以前に於て多少印度の状態が知れて居つたからであらう、最も詳しいことは波斯で聽いたとあるが、多少の智識は持つて居つたに違ひない、所で歴山王に附いて居つたアリストテレースと云ふ人は、論理學を初めて書いた學者である、希臘には是れまで論理學といふ學問は無かつた、而してアリストテレースが論理學を初めて作つたにしては中々精しいものである、そこで此の論理學も矢張り印度から得て來たものでなからうかといふ説もある位である、けれども是れには別に歴史上の根據はありませぬが、兎に角歴山大王が印度遠征をしましてから、印度の智識は愈希臘の方へ傳はり、是迄よりも一層多くなつたといふことは疑ひないことである...
松本文三郎 「世界に於ける印度」
...専ら童心にかえッて戦争ごッこをやッている王手飛車があろうと桂馬のフンドシがあろうと端歩は動かんモノである...
山中貞雄 「陣中日誌(遺稿)」
...桂馬の斜めの飛び足のような迷点の連係となるから...
横光利一 「北京と巴里(覚書)」
...将棊に桂馬という駒があるが...
横光利一 「旅愁」
...桂馬(けいま)の高飛び――のおそれはあるが...
吉川英治 「新書太閤記」
...桂馬や香車の性能をつかって...
吉川英治 「随筆 新平家」
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