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伊良子清白 「孔雀船」
...栲綱(たくづぬ)の白腕(しろたたむき)になれを卷く...
上田敏 上田敏訳 「海潮音」
...あたしの恐(おそ)ろしい白栲(しろたへ)が...
マルセル・シュヲブ Marcel Schwob 上田敏訳 「癩病やみの話」
...白栲(しろたへ)の袖(そで)著具(きそな)ふ六手腓(たこむら)七に虻(あむ)掻き著き...
稗田の阿礼、太の安万侶 「古事記」
...殊にその頃からして既に支那式模製の日本鏡鑑の發達を促し、銅鉾等に於いても盛に日本製のものを出す樣になり、古墳の構造は益發達して支那石造造家屋を模した所の棺槨さへも具へる樣になつて來て、これから以後六朝にかけては、古墳から出る遺物としては、鏡鑑の如き當時の信仰に關係ありと認めらるゝものゝ外、玉石器に於いても漢代に盛であつた玉器の模製と思はるゝもの益多く、殊に又支那地方の生産品で、恐らく日本人の愛好するが爲に特別に製造して輸入したらしく思はるゝ琅の勾玉等を見、甲冑、馬具、刀劍、沓等の類に至つては、支那に於いても後漢から六朝にかけて最も進歩した工藝になつた鍍金の精巧なるものを多く發見し、是等に附着し又は鏡鑑を包み等した痕迹等から考へて、支那の絹布が盛に輸入せられたことも考へられ、當時恐らく日本人は之を以て和栲と稱して居つたかと思はるゝので、斯の如き美しく綺羅びやかな遺物は、西は九州より東は兩毛奧州の南部に及んで居り、又斯くの如き古墳の決して少なからざる實蹟から考へると、當時日本の生活状態と云ふものは、部曲民、賤民等の如き低級の者は、或は單に荒栲、即ち木の皮の纖維等より作られた今日のアイヌの厚子(アツシ)の如きものを服し、少しく上等な所で麻苧類の服を着て居つたに過ぎないであらうけれども、當時少なくも、殆んど後世の一郡平均に一家か二家までもあつたと思はれる地方貴族等は、皆支那輸入の絹帛を服し、鍍金の甲冑を着し、金覆輪の馬具を置き、刀環の着いた刀劍を帶び、頗る豪奢の生活をして居つたと思はるゝので、勿論大和朝廷等は當時よりして既に高句麗夫餘等の王にも寧ろ過ぎても及ばざることなき立派な生活をして居られたらしく考へられる...
内藤湖南 「日本上古の状態」
...同時村瀬栲亭が藝苑日渉に國號を論じたる條ありて...
内藤湖南 「卑彌呼考」
...女房の荒栲は、縮を小腋(こわき)に当てて、右の手には竹笠を持って、蓑(みの)を着て外へ出て行こうとしているところを描いてあります...
中里介山 「大菩薩峠」
...白栲のきぬの川べに...
長塚節 「長塚節歌集 上」
...目にふるゝ物皆たふとく覺ゆるに白丁のほのめくを見てよめる歌三首かしこきや神の白丁(よぼろ)は眞さやけき御裳濯川に水は汲ますも白栲のよぼろのおりて水は汲む御裳濯川に口漱ぎけり蘿蒸せる杉の落葉のこぼれしを白丁はひりふ宮の垣内にこの日...
長塚節 「長塚節歌集 中」
...栗本鋤雲は栲窓の弟である...
森鴎外 「渋江抽斎」
...栲窓は抽斎の歿した頃奥医師を罷めて大塚村(おおつかむら)に住んでいたが...
森鴎外 「渋江抽斎」
...「て」は「栲(たへ)」即ち梶で...
柳宗悦 「和紙の教へ」
...敷栲(しきたへ)の枕の下に太刀はあれど鋭(と)き心なし妹(いも)と寝たればこれは香川景樹の有名な歌だが...
柳田国男 「故郷七十年」
...かつて荒栲(あらたえ)を着ていた我々にも...
柳田国男 「木綿以前の事」
...だが自分だけはおそらく栲衾(たくぶすま)の栲であろうと思っている...
柳田国男 「木綿以前の事」
...栲は他の一つの木の種類であったと思う...
柳田国男 「木綿以前の事」
...右の栲布が果してタクと訓(よ)んだか...
柳田国男 「木綿以前の事」
...麻や栲(たえ)を着ていた時代には...
柳田国男 「木綿以前の事」
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