...その遺物遺跡を見るに、世界のあらゆる石器時代の土器に比して優位をしめてゐる程であるとも言はれ、今の北海道アイヌの祖先は、古くから北海道に住んで、本州の文化に触れること少く、土地隔絶、天恵少く、随つて石器時代にも、奥羽地方の同族に見るが如き発達を遂げるに到らず、殊に近世は、松前藩以来、内地人の圧迫を被ること多く、甚しく去勢されて、堕落の極に達してゐるのに反し、奥羽のアイヌは、溌剌と独自の文化を誇り、或いは内地諸国に移住し、また内地人も奥羽へ盛んに入り込んで来て、次第に他の地方と区別の無い大和民族になつてしまつた...
太宰治 「津軽」
...このとき松前藩は防備手薄であつた...
徳永直 「光をかかぐる人々」
...このとき松前藩は手薄であつたためか...
徳永直 「光をかかぐる人々」
...ロシヤ製日本地圖が自然的な力で松前藩士らの手に在つても不思議ではないだらう...
徳永直 「光をかかぐる人々」
...松前藩の士卒三百人が港ちかくに迫つてゐたといふ...
徳永直 「光をかかぐる人々」
...しかもこれよりさき、イギリスのヴアンクヴア大佐が、多島海を測量してゐるとき、寛政の四年には、北からくる船のうちでも主人公、ロシヤのエカテリイナ女皇の第一囘遣日使節の軍艦「エカテリイナ號」が、女帝の親翰を捧持しつつ、千島列島を南下してきて、根室灣に投錨、松前藩に至つて、正式に來航の理由を明らかにしたのであつたが、これがヨーロツパ國家の元首が直接交誼を申入れた最初であらう...
徳永直 「光をかかぐる人々」
...松前藩は南部、津輕兩藩兵二百數十をもつて急行應戰したが、兵器に時代の差があつて敗戰、松前藩吏戸田又太夫は責を負うて切腹したと記録は傳へてゐる...
徳永直 「光をかかぐる人々」
...松前藩でも知るわけがなかつた...
徳永直 「光をかかぐる人々」
...蘭の三國語に認められた文書を松前藩高橋三平が携行...
徳永直 「光をかかぐる人々」
...松前藩は運上所を置き...
本庄陸男 「石狩川」
...是日武揚等は松前藩兵を尻内(しりない)に破つた...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...松前藩の眼をかすめてやる仕事だから...
山本周五郎 「さぶ」
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