...口幅ったいようだが、拙者剣は東軍流、槍は宝蔵院流、小太刀は卜伝流、ことごとく皆伝(かいでん)だ、曲者の十人や二十人に恐れる拙者では無い、拙者一人が道を塞(ふさ)げば、池の端の一本道で、此方の防ぎは大丈夫、今晩の組子はことごとく向う側へ行って宜(よろ)しい...
野村胡堂 「銭形平次捕物控」
...東軍流の三宅軍兵衛が人に語ったという直話を誌(しる)した或る古書にも...
吉川英治 「上杉謙信」
...当時、承応の時代に最も行われている剣法の諸流は上泉(かみいずみ)の真蔭(しんかげ)、諸岡(もろおか)の神道無念、高弟(こうてい)兎角(とかく)の微塵(みじん)流、将軍家流とも云うべき柳生、宮本没後に伝わるところの二刀、新免正伝派、伊藤弥五郎を祖とする一刀流、別れての小野派、忠也派、憲法の吉岡流、その他、天道流、中条流(ちゅうじょうりゅう)、田宮流、無外流、鞍馬八流、心形(しんぎょう)一刀流、甲源一刀流、柳剛流、東軍流、卜伝(ぼくでん)の遺風など剣の流派は百を数えて余りある時世であったが、鐘巻自斎の剣法は、それらの俗間者流とはまったく趣を異にした天下の秘剣と云ってよいものであった...
吉川英治 「剣難女難」
...前から東軍流の流風が尊重されていた...
吉川英治 「随筆 宮本武蔵」
...東軍流の名人として人もゆるしていたという...
吉川英治 「随筆 宮本武蔵」
...東軍流の兵法家で三宅軍兵衛(みやけぐんべえ)といわるる仁(じん)があるが...
吉川英治 「宮本武蔵」
...「東軍流という御流名は...
吉川英治 「宮本武蔵」
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