...東漸した文明とは年所を経るごとに益々その色彩を異にし来るのである...
大隈重信 「日本の文明」
...東漸文明は依然旧態を保持しておったからして...
大隈重信 「日本の文明」
...これは外国の圧迫に依って欧米諸国と交通する様になったのであるが、これが実に東西両文明の結合する曙光(しょこう)であって、極端の西は即ち極端の東で、欧羅巴(ヨーロッパ)から亜米利加(アメリカ)に西向し、更に太平洋を越えて西向した文明は、東漸の極、太平洋に遮(さえぎ)られて、亜細亜(アジア)文明の精華を含蓄し、久しく我が国に止まっておった文明と、分派以来幾千万年、ここに初めて相邂逅(かいこう)したのである...
大隈重信 「日本の文明」
...ここに西向文明と東漸文明とは...
大隈重信 「日本の文明」
...むかしから仏法東漸と申しまして……...
薄田泣菫 「艸木虫魚」
...文化東漸(とうぜん)し...
関寛 「関牧塲創業記事」
...ダニューブにそうて東漸せしめ...
徳富蘇峰 「将来の日本」
...秀吉時代に既に東漸しはじめてゐたのである...
徳永直 「光をかかぐる人々」
...太古埃及から東漸した高度の文明を身につけた・勇敢な古代人の群を想像することが出來る...
中島敦 「環礁」
...あれは仏国の現代の風潮が東漸(とうぜん)した結果ではないでしょうか...
夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
...なお東漸(とうぜん)して印度に渡り...
新渡戸稲造 「東西相触れて」
...日本の古代文化の上にもはっきりした痕(あと)を印しているギリシヤやペルシャの文化の東漸ということを考えてみているうち...
堀辰雄 「大和路・信濃路」
...東漸西被属文明...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...西力――南蛮船(なんばんせん)による文化の東漸(とうぜん)は――火薬...
吉川英治 「新書太閤記」
...織物や陶器や自鳴鐘(とけい)を通じて――日に月に滔々(とうとう)と東漸(とうぜん)して来た時でもあった...
吉川英治 「新書太閤記」
...いまやそれの東漸(とうぜん)は止まらない勢いにある」「御気性として...
吉川英治 「新書太閤記」
...仏教美術の東漸を研究するには...
和辻哲郎 「古寺巡礼」
...有為な僧や美術家はそれに伴って東漸したのである...
和辻哲郎 「古寺巡礼」
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