...李陵とは父子ほどに違う...
中島敦 「李陵」
...李陵は少をもって衆を撃たんとわが前で広言したゆえ...
中島敦 「李陵」
...まして、李陵の場合は、もともと自(みずか)ら乞(こ)うた役割でさえある...
中島敦 「李陵」
...李陵自身毎日前山の頂に立って四方を眺(なが)めるのだが...
中島敦 「李陵」
...歩哨(ほしょう)の報告に接した李陵(りりょう)は...
中島敦 「李陵」
...李陵はたまたまある輜重車(しちょうしゃ)中に男の服を纏(まと)うた女を発見した...
中島敦 「李陵」
...李陵はなかなか戻って来なかった...
中島敦 「李陵」
...一支隊たる李陵の寡軍(かぐん)にたいした期待のもてよう道理がなかったから...
中島敦 「李陵」
...先ごろ李陵の使いとして漠北(ばくほく)から「戦線異状なし...
中島敦 「李陵」
...自(みずか)ら首刎(は)ねて辱(はずか)しめを免れるか、それとも今一応は敵に従っておいてそのうちに機を見て脱走する――敗軍の責を償(つぐな)うに足る手柄を土産(みやげ)として――か、この二つのほかに途(みち)はないのだが、李陵は、後者を選ぶことに心を決めたのである...
中島敦 「李陵」
...李陵はハッキリと嫌(いや)な表情をしたまま口を開こうとしなかった...
中島敦 「李陵」
...当時隴西(ろうせい)(李陵の家は隴西の出である)の士大夫(したいふ)ら皆李家を出したことを恥としたと記されている...
中島敦 「李陵」
...翌朝李陵は単于の前に出て事情を打明けた...
中島敦 「李陵」
...匈奴(きょうど)の右校王(うこうおう)たる李陵(りりょう)の心はいまだにハッキリしない...
中島敦 「李陵」
...李陵(りりょう)自身が希望のない生活を自らの手で断ち切りえないのは...
中島敦 「李陵」
...李陵自身、匈奴(きょうど)への降服という己(おのれ)の行為をよしとしているわけではないが、自分の故国につくした跡と、それに対して故国の己に酬(むく)いたところとを考えるなら、いかに無情な批判者といえども、なお、その「やむを得なかった」ことを認めるだろうとは信じていた...
中島敦 「李陵」
...李陵(りりょう)の心はさすがに動揺した...
中島敦 「李陵」
...閼氏(えんし)や衛律(えいりつ)らと対抗して李陵も心ならずも...
中島敦 「李陵」
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