...家族や友人の方が朝敵だと知った時、どう対処するべきか悩んでいる...
...幕末の武士が朝敵とされた場合、命を狙われることもあった...
...私たちの旅行中には、朝敵に出くわすことがないように気を付けましょう...
...彼は昨日、朝敵に追われている夢を見たと言っていた...
...近年では、政治的な発言が理由で、彼が朝敵とされることもある...
...幕吏(ばくり)の要する所となりて朝敵(てうてき)となる...
佐藤一齋・秋月種樹(古香) 山田濟齋訳 「南洲手抄言志録」
...そこでよしや朝敵と目さりょうが...
内藤鳴雪 「鳴雪自叙伝」
...朝敵とは、何んじゃ」会津兵が、襖(ふすま)を開けて「これっ」金千代は、御叩頭して「仕舞いまで唄を聞かんといかん」あれは、芋兵(いもへい)を征伐せよとの葵(あおい)の御紋じゃ無いかいな「たわけっ」と、云って、会津兵が引込んだ...
直木三十五 「近藤勇と科学」
...宮さん宮さんお馬の前のピカピカ光るは何じゃいなあれは朝敵征伐せよとの錦の御旗(みはた)じゃないかいなトコトンヤレトンヤレナ「威勢のいい唄だよ」米友が附加して言いますと...
中里介山 「大菩薩峠」
...(三)吾妻鏡の性質及其史料としての價値に關する私案吾妻鏡は純粹の日記にもあらず亦幕府の記録にもあらざること前文述ぶるが如くなりとする時は、吾妻鏡は然らば如何なる性質のものなるやとの疑問は必生ずべし、私案を以てすれば吾妻鏡は三部よりなる者の如し、第一部 治承四年より承元前後まで此部は諸家の記録及故老の物語を參照して日記體に編述せし者なるべく吾妻鏡中趣味尤津々たれども從ひて潤飾の跡多く北條氏の爲に曲筆をなせし個所少からず第二部 建暦前後より延應の前後まで此部は追記の個處も曲筆も第一部よりは少し、大事變の場合を除けば他は主として諸家の日記によれる者の如し、全體に於ては一人の編輯の如くなるも、口碑を採用せし點は至つて少く、第一部に比して多く信憑するに足る文暦二年及寛元二年の重出するは第二部の終りと第三部の初と其年代に於て重複する所あるの證左なるべく、第二部も終りに近くに從ひて純粹の日記となる、恐くば第三部の初は第二部の終りの直接史料にあらざるか第二部の第一部と其編者を異にするは、大事變大儀式等を記述するに當りて、第二部に特有なる熟語(例へば濟々焉の如し)の用ひらるゝによりて之を推すべし第三部 延應前後より終りまで此部は北條氏の左右の記せる純粹の日記なり此の如く吾妻鏡は複雜なる構成を有するものなり、若し一貫したる性質のものとする時は寶治二年二月五日の條の云義顯云泰衡、非指朝敵、只以宿意誅亡之故也云々といへる記述は、文治五六年の記事と撞着して説明しがたきに至るべし...
原勝郎 「吾妻鏡の性質及其史料としての價値」
...之を祈て果して天下に朝敵なきを信ずる者なり...
福沢諭吉 「帝室論」
...朝敵だから捕縛しようと云(い)う位な病人を扶(たす)けて看柄して居る...
福澤諭吉 「福翁自伝」
...朝敵に比例仕候へ者(ば)...
森鴎外 「津下四郎左衛門」
...われを朝敵と呼ぶであろう」「この期になっても...
吉川英治 「三国志」
...代々の朝敵である...
吉川英治 「私本太平記」
...朝敵たるは好まぬところと」「でも...
吉川英治 「私本太平記」
...この尊氏は朝敵とみられておる...
吉川英治 「私本太平記」
...やはり朝敵逆賊の名をまぬがれえないことになる...
吉川英治 「私本太平記」
...「朝敵第一の賊尊氏が九州へやって来たのは...
吉川英治 「私本太平記」
...ついに朝敵を亡ぼし終らず...
吉川英治 「私本太平記」
...“朝敵”の名をはばかって...
吉川英治 「私本太平記」
...朝敵の詔が発せられれば...
吉川英治 「平の将門」
...朝敵と断ずるのは...
吉川英治 「平の将門」
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