...夏侯惇、曹仁たちも、「それがよいでしょう」兵馬に令してそこを発(た)った...
吉川英治 「三国志」
...曹仁は、大いに怒って、小癪(こしゃく)なる玄徳が輩、ただちに新野へ押し寄せて、部下の怨みをそそぎ、眼にもの見せてくれんといきり立ったが、その出兵に当って、李典にはかると、李典は断じて反対を称えた...
吉川英治 「三国志」
...二曹仁は次の日、根本的に陣形を改めてしまった...
吉川英治 「三国志」
...曹仁は立往生して...
吉川英治 「三国志」
...三曹操はなおその総軍司令部を宛城(えんじょう)において、情勢を大観していたが、曹仁、曹洪を大将とする先鋒の第一軍十万の兵は、許(きょちょ)の精兵三千を加えて、その日すでに、新野の郊外まで殺到していた...
吉川英治 「三国志」
...そのうちに曹仁、曹洪などの本軍もこれへ来た...
吉川英治 「三国志」
...曹仁の身もすでに危うかったが...
吉川英治 「三国志」
...曹仁の輩(ともがら)を奔流の計にもてあそび...
吉川英治 「三国志」
...ふたたび曹仁へこう云い残した...
吉川英治 「三国志」
...長く持てるものではありません」「それも一理ある」曹仁は...
吉川英治 「三国志」
...「そうだ! 忘れていた」曹仁は...
吉川英治 「三国志」
...残る呉軍を殲滅し得ることは疑いもありませぬ」曹仁...
吉川英治 「三国志」
...曹仁、曹純、曹洪など、みな自分らの南郡へ向って逃げたが、途中、呉の甘寧(かんねい)が道をさえぎっていたので、城内へ入ることもできず、遂に、襄陽(じょうよう)方面へ遁走(とんそう)するのほかなかった...
吉川英治 「三国志」
...曹仁がそのとき、「曹洪も徐晃も、若過ぎますから、血気の功に焦心(あせ)って、大局を過(あやま)るおそれはありませんか」と、注意した...
吉川英治 「三国志」
...いま曹操の弟曹仁は...
吉川英治 「三国志」
...即ち、魏の曹仁が、突如、堺を侵(おか)して、荊州へ行動を起してきた――と...
吉川英治 「三国志」
...曹仁が樊城をたつときから...
吉川英治 「三国志」
...魏は、この攻め口に、曹仁をさしむけ、曹仁は配下の大将王双(おうそう)と諸葛虔(しょかつけん)に五万余騎をさずけて、濡須を囲ませた...
吉川英治 「三国志」
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