...其のころ書生気質は評判でありましたけれども...
泉鏡花 「いろ扱ひ」
...世間の『書生気質』を感歎するやあたかも凱旋(がいせん)将軍を迎うる如くであった...
内田魯庵 「二葉亭四迷の一生」
...坪内君の最初の作『書生気質』は傑作でも何でもない...
内田魯庵 「明治の文学の開拓者」
...その時分私の親類の或るものが『書生気質』を揃えて買って置きたいからって私に買ってくれといった時...
内田魯庵 「明治の文学の開拓者」
...けれども『書生気質』や『妹と背鏡』に堂々と署名した「文学士春の屋おぼろ」の名がドレほど世の中に対して威力があったか知れぬ...
内田魯庵 「明治の文学の開拓者」
...であるから『書生気質』や『妹と背鏡』を見て...
内田魯庵 「明治の文学の開拓者」
...この評論は確かに『書生気質』などよりは重かった...
内田魯庵 「明治の文学の開拓者」
...『桐一葉』は勿論(もちろん)『書生気質』のようなものではない...
内田魯庵 「明治の文学の開拓者」
...坪内逍遥氏の『小説神髄』や『書生気質(しょせいかたぎ)』や『妹背鏡(いもせかがみ)』や...
高浜虚子 「子規居士と余」
...こうした結局無邪気な学生の意識が当時の「書生気質」だったのである...
戸坂潤 「技術の哲学」
...坪内先生の「書生気質」は...
水野葉舟 「言文一致」
...「書生気質」は明治十八年から分冊として刊行され...
水野葉舟 「言文一致」
...「書生気質」を、今日になつて読んで見て考へて見るべき点は、当時どうして坪内先生が小説を書かうと思はれたか、その時代の環境の中でさういふ要求を心に感じられた点と、何かと理屈のついた用意はあつたらうが――実は私には八九分通り習慣から出て来た文章と思つてゐる――どうしてあゝいふ文体を撰ばれたかといふ二つの点である...
水野葉舟 「言文一致」
...(中略)であるから坪内君の『書生気質』を読んでも一向驚かず...
水野葉舟 「言文一致」
...「書生気質」の時代に於いてはその...
水野葉舟 「言文一致」
...すぐ前の階程の見本として「書生気質」を思ひ出すのである...
水野葉舟 「言文一致」
...「当世書生気質」の逍遙の插画と長原止水の絵との時代的相異...
宮本百合子 「獄中への手紙」
...あの時分はやっと坪内逍遙さんの『書生気質』が世の中に認められはじめたころだが...
柳田国男 「故郷七十年」
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