...然るに片山夫婦は予に告げて曰く...
関寛 「関牧塲創業記事」
...曰く、「芸といふものは、実と虚の皮膜の間にあるものなり...
相馬御風 「実物と模型」
...本人の申条に曰く...
高浜虚子 「漱石氏と私」
...大アイアース答へ曰ふ...
ホーマー Homer 土井晩翠訳 「イーリアス」
...今我れ親しく曰ふところ...
ホーマー Homer 土井晩翠訳 「イーリアス」
...矍然(かくぜん)として案を拍(う)って曰く「我あに一度は父讐(ふしゅう)を報ずるあたわざらんや」と...
徳富蘇峰 「将来の日本」
...僕が所見にては生死は度外に措(お)きてただ言うべきを言うのみ○貴問に曰く...
徳富蘇峰 「吉田松陰」
...或は愛國公黨自由黨等を組織して毎に之れが牛耳を執りき故に彼れを指して政黨政社の開山と爲す可き乎曰く皆然り曰く皆然らず彼れの力を此の數者に致せしの事實は何人も認むる所にして...
鳥谷部春汀 「明治人物月旦(抄)」
...曰く「私は久しく歌を作つて居ながら...
平野萬里 「晶子鑑賞」
...読売の評に曰く「こんな低調なものを緑波は満足してやってゐるのか」これだからいやんなる...
古川緑波 「古川ロッパ昭和日記」
...また「万葉集訓義弁証に曰く新撰字鏡に※音開...
牧野富太郎 「植物一日一題」
...曰く、ヨオロッパの諸列強が莫大な公私の経費を投じて植民地を作ろうと企てながら頻々と失敗している理由の一つは、母国に適する道徳的技術的習慣は往々にして新植民地には適せず、また多くは予見の出来ぬ外部的出来事にも適しないということであり、そして英蘭(イングランド)の植民地はいずれも、必要な風習がその地で発生し発達するまでは、それほど大きくならなかったことは、注意すべきことである、と...
トマス・ロバト・マルサス Thomas Robert Malthus 吉田秀夫訳 「人口論」
...曰(いわ)く「ヒルカニアとインドに虎あり疾く走る事驚くべし...
南方熊楠 「十二支考」
...曰く〈上古の時、神荼(しんと)欝塁(うつりつ)昆弟二人あり、性能く鬼を執る、度朔山(どさくさん)に桃樹あり、二人樹下において、常に百鬼に簡閲す、鬼道理なき者、神荼と欝塁は打つに葦索を以てし、執りて以て虎を飼う、この故に県官常に臘を以て祭る、また桃人(とうじん)を飾り葦索を垂れ虎を内に画き以て凶を禦(ふせ)ぐなり〉、わが朝鍾馗(しょうき)を五月に祭るが、支那では臘月に祭ったと見えて、明の劉若愚の『四朝宮史酌中志』二十辞旧歳の式に〈室内福神鬼刹鍾馗等の画を懸掛す〉とある、年末窮鬼を駈る意で鍾馗は漢代臘を以て神荼欝塁兄弟を祭ったから出たのだろ...
南方熊楠 「十二支考」
...(自註)先生謂余曰...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...名を珍彦(うずひこ)と曰(い)ふ」とあり...
柳田国男 「山の人生」
...寛政四年即ち彦九が死せし前年に方(あた)りて柴野栗山大和に遊び神武天皇の御陵を訪ひ慨然として歌ふて曰く遺陵纔向二里民一求...
山路愛山 「頼襄を論ず」
...孔子曰く命ありと...
和辻哲郎 「孔子」
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